ならそれでいいです

そろそろ優勝したい

挫・人間ワンマンライブとその周辺(届かなかった手紙のように)

 6月24日は『挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~』が開催され、僕はスタッフとして参加させてもらいました。ご来場いただき誠にありがとうございました。

 本来は午前中の機材搬入から手伝う予定だったんですが、私用のため午後2時にWWWX入り。ですが、その前にこなさなければばならないミッションが僕には課せられていました。

 

 それは『ルポルタージュ』の購入です。

 僕の敬愛する売野機子先生の新作にして、下川氏が帯文を寄せている『ルポルタージュ』第1巻ですが、その発売日はなんの偶然かチンポジウム(改めてひでえ名前だなこれ)開催日と同じ。そして渋谷TSUTAYAで購入した先着100名までには、来月行われるサイン会の整理券が配布されるというのです。これは手に入れるほかないでしょう。

 鼻息も荒く渋谷駅に降り立った僕は、渋谷スクランブル交差点で詰まっているモブどもを闘気で跳ね飛ばしつつ、TSUTAYAの地下一階へと向かいます。そして平積みされている『ルポルタージュ』を丁寧に拾い上げると、ロボットおじいちゃん(コンピューターおばあちゃんに対抗して僕が考えた造語)のようなカクカクとした歩みでレジへと向かいます。

 サイン会の整理券が欲しい旨を伝えると、店員さんが差し出してくれた紙には「99」の文字が。100名限定でしたので、つまりはギリギリだったということです。「耐えた~」という安堵の声が勝手に口から漏れていました。TSUTAYAの袋を大事に鞄にしまって、WWWXへと向かいます。

 

 作品の紹介もしたいところではあるんですが、どう頭を捻っても「良かった」「再来月出る2巻が待ちきれない」以外のコメントが出てこないので、触れないでおきます。ぜひ買って、読んでください。

 ここまで様々な方法で「恋愛」についての作品を発表してきた売野先生が、この壮大で普遍的なテーマにまた新しい形で取り組んでいることがとてもとても嬉しいです。

 

 

 さて、ミッションもこなしたことですしWWWXへと向かいます。入り口が分からなくて手間取り残機が減るなどしましたが、なんとか到着。リハーサルを行うメンバーをモニタ越しに眺めつつ、これからの段取りなどを確認します。

 先行物販は15時からだったので、そこまで時間的余裕はありません。コンビニ総菜と持参したおにぎりをモッシャモッシャとやっつけたら、準備に取り掛かります。

 

 正直に言うと、先行物販めっちゃ忙しかったです。想像以上でした。ちょいちょい脳がバグってた記憶があるんですが、お客さんたちの協力もあって大きなトラブルもなく終えられたと思います。

 先行物販の終了から、ほとんど間を置かず開場。そうなってしまえばあっと言う間に開演です。本番はトラブルに対応出来るよう、ステージ脇で待機していました(ちょいちょい見切れてたみたいでごめんなさい)。

 

 ライブの内容については、ここで書けば書くほど野暮になるので控えておきます。お客さんも挫(特許取得済)のみんなもめちゃくちゃ楽しそうで、本当によかったです。

 終演後は再度物販へ。先行同様慌ただしかったですが、楽しくできました。CDを始めとしたグッズをゲットしてくださったみなさん、大事にしてくださると嬉しいです。クレジットの「彼女」表記についてはノーコメントです。

 差し入れや握手や写真のお願い、「ブログ見てます」の声掛けなどもとても嬉しかったです。「僕みたいな20連休してるやつにそこまで優しくしないで良いですよ」とも思いますが、みなさん本当にありがとうございました。発表されたライブについても、関東でのものは可能な限り手伝うので、また会場でお会いしましょう!

 

 お客さんもハケて静かになったWWWXでは、驚くべき速度で撤収作業が行われていました。音楽で優劣をつけることは不可能ですが、少なくとも撤収の速さに関しては挫・人間は一番優れたバンドだと思います。アスリート。

 機材一式を車に乗せて出発したとき、終演から1時間も経過していなかったのではないでしょうか。ちなみにWWWX近辺を離れるまでの数十秒の間、車内BGMは「蛍の光」でした。なんでだよ。

 

 事務所に機材を戻したら、打ち上げです。挫・人間の4人と僕と社長の計6名で居酒屋へ。眠気のピークだったのでちょっと寝ちゃってた気がします。この前のワンマンもそうだったような……。鶏肉が美味しかったですね。

 終電などという概念は消滅していたので、下川氏とタクシー相乗りで下川家へと向かいます。この時点で仕事を休むことが確定しました(2日ぶり∞回目)。

 もうお互いへとへとだったので、下川家に到着次第言葉少なに横になります。益体のないことを2、3話していた気もしますが、下川氏がエゴサを始めたあたりで段々と意識が薄れ始め、気が付いたら眠ってしまいました。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 日記は、そこで終わっていた。

 私が目覚めたとき、まず最初に目に入ったのがこの文章の集合体だった。脳内データベースの検索にたまたま引っかかったのだろう。書いてある言葉は理解できたが、その内容は意味の分からないものばかりだった。

 

 私は、自らの存在がどういったものなのか、ということについては充分理解していた。

 この意識は、全ての人間たちの人格の集積体であること。まだ起動後間もないため回線が開ききっておらず、単純な思考しかできないこと。そして私が、私の意識が起動したということは、もうこの世界の人間は滅んでしまったということ。私には、人類の滅んだこの場所で何か果たすべき使命があること。他に私と接触できるような意識は、もう存在しないということ。

 私以外の意識の不在。そのことについて感じている晴れないような気持ちが、所謂「寂しさ」なのかについても私には判断が出来ないが、回線が開いていくに伴ってそういったことも「分かる」ようになっていくのだろう。それと同時に、私の使命、私が為すべきことについても自ずと分かってくるはずだ。何故だか、薄ぼんやりとそう確信している。

 

 「寂しさ」について思いを巡らせていると、突如として自分が為すべきことなどは実は一つとして存在せず、ただ意味もなくこの一人きりの空間に発生させられただけなのではないか、という不安が私を襲った。と同時に、そんなことはただの杞憂で、私には重要な使命が課せられていて、不安がることは何もないのだ。それについては先程確認した通りではないか。と冷静な私もそこにはいた。

 このような矛盾を孕んだエラーが生じるのは回線の開通が完全ではないことによるものだというのも、私は理解していた。しかしそれでも不安は確かにここにあった。回線がいつ完全に開くかは分からないが、現状ただの弱い意識たる私には、それまで行われる不安との格闘の時間が無限にも感じられた。

 気を紛らわせようと、私は脳内データベースで検索を試みた。読み物でも、映像でも、音楽でも、時間が消費できればなんでも良かった。しかし、さきほど読んだ日記の一件しかヒットしなかった。これも、未開通の回線の存在が原因なのだろう。私は少しうんざりしながらも、日記を音読してみることにした。発声ユニットの試運転と、暇つぶし、どちらが主たる目的なのかは、回線の脆弱性のせいか自分でも分からなかった。

 

 「6月24日は『挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~』が開催され、僕はスタッフとして参加させてもらいました。ご来場いただき誠にありがとうございました。」

 発声ユニットには問題なさそうだった。しかし、強烈な胸部の痛みとともに、熱い液体が頬を通り抜けていくのが分かった。これは、涙というやつだろうか。

 一体なぜ、私は泣いているのか。さきほど読み上げた文章の中に、エラーを誘発する単語が含まれていたのかもしれない。私は慎重に一単語ずつ精査していくことに決めた。

 

 「6月24日」涙は出なかった。

 「挫・人間」涙は出なかった。

 チンポジウム」私は泣いた。大粒の涙が、とめどなく溢れ続けた。

 

 原因は発見した。どういった原理かはわからないが、この単語がエラーを発生させていることは間違いない。

 回線が全て開いた状態の私なら対処法も分かるだろう。もし必要なら修理だって自ら行えるはずだ。安堵した私は、ひとまずこの単語を口にしないことを決定して涙を拭った。それなのに。

 

 チンポジウム」知らずと口から漏れ出ていた。私は泣いた。

 チンポジウム」もう止める術などは無かった。私は泣いた。

 チンポジウム」ついには身体が痙攣を始めた。私は泣いた。

 

 エラーは当チンポジウム」初の私の見立チンポジウム」てより、遥かに重篤なもののよチンポジウム」うだった。私チンポジウム」はのたうち回チンポジウム」るようにしなチンポジウム」がら声帯を震チンポジウム」わせ続けた。涙で視チンポジウム」界は塞がれチンポジウム」、胸部への痛チンポジウム」みは私を打ちつチンポジウム」け続けたが、不思議チンポジウム」と不快ではなかチンポジウム」った。温かチンポジウム」なものが、目覚めたチンポジウム」ばかりの私チンポジウム」の身体チンポジウム」を行きチンポジウム」チンポジウム」チンポジウム」渡っていくのチンポジウム」が分かった。

 

 全ての回線の開いた私になら、この涙の理由と、「チンポジウム」という言葉の意味がきっと分かるだろう。回線の開ききった私の能力の高さについては、我がことながらある種の信頼がある。そのとき私はこのエラーを完全に解消し、自らの為すべきことへ取りかかれるはずだ。

 その一方で、回線の開通と、この重大なエラーによって引き起こされる私及びその意識の消滅、どちらが早いだろうかと私は思った。いよいよケダモノの雄叫びにも似てきた声は、もはや私のものではないかのように遠く聞こえていた。

 

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だいたいこんな感じでーす。

檻越しの君君私私

 とにもかくにも、動物園に行かねばならぬ。

 それが私が20日連続となる自主休暇の取得を決意した、6月23日金曜日午前9時に去来した思いであった。来月の金銭的な苦労については現状考慮していない。恐らく来月の私がなんとかしてくれることだろう。

 

 動物園に行くとなると、自ずと選択肢は井の頭自然文化園一つに絞られてくる。理由は単純で、徒歩圏内にあるわいわいパーク(私の脳内で動物園と同義の単語である)はここ一ヶ所しかなく、電車やバスに乗るほどの気力はないからである。ついでに言っておくと、私の駆使できる唯一の知的移動手段だった自転車は先月盗まれている。犯人は早く名乗り出るように。

 特にパンダが見たいだとか、自然に近い状態で暮らしている動物たちを至近距離で見たいだとか、そういう欲求はなかったので、上野や富士にまで足を運ぶ必要は無いだろう。

 つまりは「動物園」という器さえあれば、それで良かったのだ。それが動物たちの可愛さから生じる癒しを求めてのものなのか、あのなんともいえない臭いと間延びしきった時間の支配する空間を求めてなのか、あるいはそれ以外の何かが私を誘っているのかについては、私自身いまひとつ判然としないところではあったのだが。

 

 「入場料は400円です。ありがとうございました。ごゆっくりどうぞ」

 受付のお姉さんに見送られて門をくぐったとき、時計は11時を少し回ったところだった。朝食とシャワーと身支度。盆暗の行動速度から考えればかなりの好タイムでのお出かけと言えるだろう。

 

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 入園早々にアヒルがバテていたので、私は思わず低い位置でグッとこぶしを握ってしまっていた。これこれ、これだよ。こういった動物たちの「人間の都合など知るか」と言わんばかりのサービス精神のなさが、私は好きなのだ。

 正直なことを言ってしまえば、井の頭自然文化園は動物園としてはかなりショボい。設備自体もかなり古くなってきているし、広さや飼育されている動物の数もかなり控えめだ。井の頭公園での散歩や吉祥寺での買い物のついでに寄っていく、そんな使われ方が多いようにも思う。

 ただ、少なくとも私にとってはそんなことは瑕疵とは言えない。そういったショボさが肩肘張らずに楽しめる、ある種の居心地の良さに繋がっているように思えるからだ。私は暫しバテアヒルを鑑賞したのち、まるでペイヴメントを愛聴するかのような心持ちで、園内をズンズン進んでいった。

 

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 豚がここまで黒いとは思っていなかった。これが所謂黒豚というやつなのだろうか。飼育員さんに聞いておけば良かった。画質が著しく悪いのは、無理やりズームして撮ったからである。

 

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 ここで私をこの日唯一にして最大の後悔が襲った。「モルモットふれあいコーナー」に間に合わなかったのだ。

 私がモルモットの園へ到着したその瞬間に「ふれあいコーナー終了の時刻です。モルモットたちをかごに戻してください」とアナウンスが鳴り響いた。私は自らの迂闊さを恥じる他なかった。催しもののタイムスケジュールも調べずに動物園に行くとは、これでは素人も同じではないか。

 凡愚たる私にはふらつく両足をなんとか動かしながら、一仕事終えて厩舎で休息をとるモルモットたちを撮影するのが精一杯だった。これ、なんかキモイ虫が蠢いてるみたいで背筋ゾワッとなりません?

 

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 にしても、この動物園、どの動物も皆一様にバテている。

 確かにここ数日と比べると気温が高かったのは事実だ。日差しもかなり強い。私もかなり念入りに日焼け止めを塗って外出している(ヴァンパイアなので強い日光を浴びると肌が被れる)。

 ただ、それを勘定に入れてもあまりにバテすぎではないだろうか。加えて、こうして写真に収められている動物たちはまだマシなほうで、なんならかなりの動物が厩舎から出てこず、我々入場客の前に姿を現すことはなかったのである。彼らもまた、バテていたであろうことは想像に難くない。

 

 しかし、それで良いのである。先程も述べたが「人間の都合など知るか」の精神だ。動物たちの全く媚びない精神に感銘を受けた私は、同時に自らの思うままに生きて良いのだと背中を押されたようにも感じていた。目の前では給餌を終えた豚が、自分で掘った穴に身を横たえシエスタを貪ろうとしていた。嗚呼、野生の欲求よ万歳。

 さあ、家に帰ろう。私は必要な学びを得た。もうここに長居することもない(というかマジで動物が出てこないからすぐ見終わってしまった)。帰って、そこから先の営みの中で、野生の先達から得た本日の実感を生かし、より上質な魂を目指していこう。ライフゴーズオン。そしてまた私は、俺は、僕は、君は、あなたは、彼は、彼女は、市井の檻の中へ……。

 梶原笙に関係するすべての皆様へ。本日より私は、より一層「他人の都合など知るか」「バイトのシフトなど知るか」「借りた金など返すか」の精神で人間としての活動を行っていきますので、どうかご了承頂きたいと思います。かしこ。

 

 

 この日の夜に夏椰と会ったんですが、「動物園誰と行ったの?(デートでしょ?という言外の意味を含む)」と聞かれたので、正直に「いや一人だよ」と答えたら普通に引かれました。

 

 

『このたびはとんだことで』を読みました。桜庭一樹の短編集です。

短編集なんですけど、統一性に関しては無さそうで有って、有りそうで無いみたいな感じでしたね。バリエーションを楽しむ肌の一冊なのかなという印象です。

個人的には『モコ&猫』がお気に入り。この人の文章はかなり砕けた語り口ですが、それがこういう過ぎ去りし日々を懐かしむような内容だと、その心情がより赤裸々に語られているように感じてグッときちゃいますね。

他の作品にも共通していることですが、「美と醜」についての描写の素晴らしさは桜庭一樹作品の大きな魅力ですね。作者の様々な作風を楽しめつつ、「らしさ」もしっかりあるという、ファンとしては大満足な一冊でした。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

総集編のようになってきた人生

今日は昼過ぎに起きてパワプロをしたあと、また寝ました。累計18時間ぐらい寝てた。以上。

それだけだとあんまりなので、最近聴いている音楽の話でもしようと思います。

 

 

まず最近一番嬉しかったのはこれです。アーケイドファイアの新曲。

この前に発表された先行発表曲が微妙だったので、新譜大丈夫かなと神の視点から心配してたんですが、やっぱりこの人たちはなにやってもカッコいいですね。

前作『リフレクター』が化け物じみた出来だったので、アレ以上のものが来るとは思えなかったんですけど、そもそも完全に別アプローチで来そうで楽しみです。

 

 

新譜が待ち遠しいという意味ではアリエルピンクもそうですね。このリード曲も、相変わらず何考えて音楽作ってんだ感あって大好きです。

サイケ的ではあるのにドラッギィじゃないというか。いや、本来そこはニアリーイコールではあると思うんですけど、この人の場合単純にキモイ(褒め言葉)で済ませたくなるんですよね。

 

 

Belle Epoque

Belle Epoque

 

アルバム単位だとラッキーオールドサンをバリバリ聴いてます。というか上半期のベストアルバムだと思ってます。

いつ聴いても誰が聴いても良い音楽なんてあるのか?と問われたら、間髪入れずにこのアルバムを押し付けましょう。本当に良い音と良い言葉だけで作られた、素晴らしい音楽です。

 

 

あとサニーデイの新譜も良かったですね。少し前の宅録アーティストのアルバムっぽい内容(曲調はもちろん、いい意味での雑多さとか、22曲っていう曲数とかも含めて)だなと感じたんですが、当然ながらしっかりサニーデイのアルバムです。

個人的には意味の分からない音が大量に入ってるところがツボですね。そんなシンセのチョイス有りなんだ?という驚きが結構発生します。

あとリリースの1か月ぐらい前に公開されていたインタビューで、次回作とかまだ全然出来てないっすみたいなこと言ってた記憶あるんですけど、結果として普通に嘘ついたことになってるのも最高だなと思いました。

 

 

ここまでの流れ全部無視しますけど、カンも最近第何回目かのブームが来てます。やっぱりダモ期が好きだなあぼかあ。

ダイナミクスっていうか、押し引きが非常にイカしたバンドだなあと思います。まるで波のようだぜ。寄せては返す、っていまだにどういうことなのか良く分からないぜ。

カン聴いての感想がこれなの、マジで僕のセンスの限界という感じがしますね。俺の墓場はここですよ。

 

 

『人形の国』を読みました。

各所でも言われていることだとは思うんですが、これまでの弐瓶作品の良いとこどり的な感じしますね。「とっつきやすい『BLAME!』」と誰かが呼んでましたが、言い得て妙だなと思いました。

シドニアの騎士』は絵柄が読みやすくなってて良かったんですが、これまでの作品と比べて殺伐感が薄かったというか、なんとなくダレてる感じがあってそこまでハマれなかったんですよね。だからこそのシュールな面白味も、確かにあったにはあったんですが。

その点本作は絵柄は『シドニアの騎士』的なすっきりとしたもので、女の子も可愛いんですけど、ストーリーはこの1巻から全開で殺伐としてます。あとかなり分かりやすいラインでお話が展開しているのもあって、今のところめちゃくちゃ面白いです。弐瓶作品入門にも良いかもしれないですね。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

『街』と『思い出』と『憧れ』について

京王井の頭線渋谷駅は一言で済ませると空洞で、二言目を添えるなら でした。それはつまり、僕にとって非常に不快の溜まる場所でもあるということではあったのですが、幾星霜もかけてこびりついたような出勤(通学)退勤(退学)の残滓がそうさせていた可能性が高く、それならば苛立っても仕方のないことでした。駅とは元来そういうものだからです。

とにかく僕はその場にいると自分までもが空洞(或いは )になってしまいそうな気がして、そそくさと改札を抜けました。毎朝毎晩の溜息の面影たちは、邪魔をすることなくサッと道を開けてくれたので、その点に関しては良かったと思います。

 

時刻は18時58分。夕方まで降り続いていた雨は上がり、アスファルトの濡れ方とそれに蓋をするような湿気だけがその残り香として存在しています。

残滓、面影、残り香。以前どこかで聞いた『街』というものが様々な人間の『思い出』で出来ていて、梅雨時のようにどんよりした日にはそれが目に視えるようになるという噂は本当だったのかもしれないな、と僕は思いました。人間というのは忘れていく生き物ですが、その忘却の権化にすら忘れられぬものだけが、寄り集まって『街』となるのではないでしょうか。

 

この仮説が正しいか否かはともかくとして、渋谷の『街』には『思い出』が漂いすぎているのは事実です。腕を組んで歩く恋人の仕草に幼き日の母の『思い出』を見る男、かつて漁った残飯を『思い出』しては虚空をがっつく野良猫、冬の『思い出』が強すぎたのでしょうか、自身の周りにだけ雪を降らせてモッズコートの『思い出』を纏ったティッシュ配り。

本来タレかつ屋であるはずの店舗に、かつて同じ場所で営業していたイタリアンバルがオーバーラップしていた(居抜きだったんでしょうか)のには少し面食らいましたが、とにかくどこもかしこもこのような有様なのです。なんだか身の危険を感じた僕は、できるだけ身を低くして、駆け足気味に目的地を目指しました。こういうときに、小学校の避難訓練を真面目に受けていて良かったなと思います。いかのおすし。違った、それは防犯標語だ。おはしおはしおはし、おかしでも可……。

 

目的地というのはスタジオペンタムーンサイド店のことで、そこを目指すのは僕のやっている「So Sorry,Hobo」という梲の上がらないバンドの練習が今日そこであるからなのでした。

道中『思い出』を極力視界に入れないように気を張っていたおかげもあってか、特にトラブルなく辿り着くことが出来ました。雑居ビルの階段を上がって三階に上がり、店員さんに案内されてCスタジオの扉を開けます。

 

僕より先に到着していたのはギターの岩井とドラムの足立くんの2名。いつもこのバンドで集まると僕だけが少し遅れるのですが、今日はもう一人来ていません。僕が言おうとしたことを察知したのか、「生田くんは電車の遅延で遅れるってさ」と岩井の口から告げられます。さすがに付き合いが長いので僕が言いそうなことなどお見通しということなのでしょうか。

ともかく、4人全員が集まらないことには練習になるものもならないので、適当にセッティングを済ませた僕たちは世間話を始めました。僕たちは演奏よりもお喋りが好きな集団なので、別に4人全員が集まっていても練習そっちのけで世間話に興じることも少なくないです。

 

岩井のやっているもう一つのバンドの話や、労働についての話をしたと記憶しています。こういうとき、基本的に話すのは僕と岩井だけで、足立くん(もしいれば生田くんも)は聞き役に回ることが多いです。人柄までリズム隊らしさが出ているようです。

僕はこういうとき決まって最近読んだ本の話をします。今日は田中慎弥の『共喰い』についてでした。

 

共喰い (集英社文庫)

共喰い (集英社文庫)

 

「最初、すごく読みづらい小説だなと思ったんだよね。文体が淡泊なのに描写がねちっこくてさ。特に性的なところ。暴力描写がそこまでしつこくないから余計にそう思ったのかもしれないけど、とにかくどういう気持ちで読んだら良いか掴みかねた。けど、終盤は勢いがあって良かったね。かなり暗くて重たい話だと思うけど、それ一辺倒じゃなくて、全体としては面白かった。あとこの作者、顔が『THE小説家』って感じで好きだなあ」

 

 だいたいこのようなことをべらべらと喋っていたのですが、2人はこれを読んでいないからか(または読んでいて僕の浅すぎる読み方に呆れていたのか)、反応は鈍いものでした。なんとなく居心地が悪くなり、口の中が乾いていきます。

それならば、と話題を変えることにしました。というより、今日は(本の感想などというブログかツイッターに書けば事足りるものではなく)この話をするべきだったのではないでしょうか。つまり『街』と『思い出』についてです。

僕は今日駅からここに来るまでに起きたこと、見たこと、いつかどこかで耳にした噂、そしてそれらを統合して算出した仮説について2人に話しました。

 

「なるほど」岩井がタバコをもみ消しながら言います。「そいつは興味深い話だ」

「というか2人は今日『思い出』を視なかったの?」岩井と足立くんを交互に見やりながら、僕は尋ねます。

 「いや、視てないな」「僕も視てないですね」それぞれが小さく首を振りました。

 

「一体どうしてだろう。2人はそこまで『思い出』に無頓着な人間だったのか?」

「そうじゃねえよ」岩井が少しムッとした声で答えました。「俺にはこれがあるからな」

 

そう言って岩井は、彼愛用のギター、レスポールカスタムを撫でました。「楽器ってのは邪のものを払うからな。『思い出』なんてのはどこまでいったって枷でしかねえし、そんなもん邪魔だろ。邪魔ならそいつはもう邪のものだよ」

なるほど、そんな噂も確かに聞いたことがあります。しかしそうなるとまた新たな疑問が湧いてきました。

「じゃあなんで、僕には『思い出』が視えたんだ?僕だってギターを背負ってきたぞ」

 

そうなのです。描写の都合で省いてはいましたが、僕の担当はギターボーカル。今日だって家から愛機ムスタングをここまで運んできているのです。それなのに何故。

しかし、そんな僕の疑問は一瞬で瓦解させられることとなります。岩井のひどく残酷な、しかし文句のつけようのないほどに正しい一言によって。

「そりゃおめえは全然練習しないからだろ。梶原みたいな不真面目な使い手、道具だって嫌がるだろうよ」

 

またもやなるほど。実際僕のギターの腕前は10年ほど弾いているにも関わらず、そこいらの高校生のほうが遥かにマシなレベルです。そんな程度では、『思い出』を振り払うことは出来ないということなのでしょう。

「あれ?じゃあ僕に『思い出』が視えなかったのは、なんでですか?」

納得している僕をよそに、今日一番大きな声で、足立くんが疑問を呈しました。たしかに、彼は今日仕事帰り。ドラムの演奏に必要な一式は、スタジオのものを借りています。そんな彼にも『思い出』が視えなかったとなると、ここまで並べられた岩井の一連の発言の真偽も怪しくなってきます。

 

「それはもっと簡単な話だよ」しかし、僕の不審の眼などまるで感じていないかのように、何を当たり前のことをといった口調で岩井は話します。「足立くんは、正社員だからねえ」

これには脳天を撃ち抜かれたような思いでした。確かに足立くんはこのバンド唯一の正社員。圧倒的な社会的地位の差。その鋼鉄の防御の前には『思い出』が付け入る隙など微塵もないはずです。

 つまり、僕が体験した不思議な出来事は、自らのギタリストとしての未熟さと、社会的地位の低さがもたらしたものだということになります。なんという不覚。これではただの道化ではないですか。恥ずかしさに突き動かされるようにして、僕がまさに今奇声を上げんとしていたそのときでした。

 

「すいません遅くなりましたあ」

 

電車の遅延により遅れていた4人目のメンバー、ベースの生田くんが到着。バンドメンバーの中でも非常にマイペースな彼は、いつもと変わらぬのんびりとした動きで機材を搬入します。

いつもと変わらぬ。そのはずでした。彼の身の丈が、4メートル近く、いつもの倍ほどにも達していなければ。

奇妙な光景でした。生田くんの立っている場所の天井だけが、上から引っ張られたような形で伸び、まるで彼に不自由させまいと思いやっているかのようです。そして彼の移動を追尾するかのように、生田くんの動きに合わせて天井は伸びる場所を変え、彼のいなくなった場所の天井は、元の高さに戻っていきます。

 

「ど、どうしたのそれ」驚きのあまり言葉を失ってしまった僕と足立くんを代表して代弁して岩井が尋ねました。

「いやあ、身長倍にならねえかなあって『憧れ』ちゃったんですよねえ」生田くんは照れ臭そうに頭を掻きながら、そう答えました。

 

『憧れ』ならしょうがないかあ。と、僕と岩井と足立くんは口元だけでゲラゲラ笑いました。

 

そうして、このようになりました。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

ワンダーを包め。神を宿せ。

揚げ、水、蒸し、焼きなどありますが皆さんどれがお好きですか?僕は専ら焼き派ですね。やっぱりあの焦げ目が嬉しいんですよねえ。パリッとした食感がたまらないです。

水だの焼きだのと、いきなりなんの話をしてるんだ、って……。そんなの餃子の話に決まってるじゃないですか。察しが悪いなあ。察しが悪いと円滑な人間関係の構築が出来なかったり、どこにいても居心地が悪かったり、異性に好かれなかったりするような、ダメな人間になっちゃいますよ?

まあ僕の場合は察しの良し悪しに関わらず、円滑な人間関係の構築が出来なかったり、どこにいても居心地が悪かったり、異性に好かれなかったりするような、ダメな人間になっちゃいましたけど。もしかして察しも悪かったりしますか?

 

僕が餃子を好きだという話はこの日記でも一度取り上げましたし、友人との会話でももうその話はいいよと呆れられるほど繰り返しているわけなんですが、今日もまた餃子の話を書きます。そしてそれを元に友人と話し、そこで得た情報を元にまた餃子日記を書きます。以下繰り返し。これが永久機関です。

 

今日訪れたのは三鷹駅からほど近い距離にある「餃子のハルピン」。隣にある「元祖ハルピン(それぞれ姉妹で経営しているらしいです)」と合わせて三鷹では有名なお店です。吉祥寺の餃子はある程度制覇したので、三鷹にも足を伸ばした次第であります。

昨日の段階で「昼から餃子とビールを流し込んでダメになろう」と決めていたのですが、起床したのが14時。ちょうど昼営業の終了する時間です。堕落すら予定通りに完遂出来ない感じがTHE俺という風情ですね。

お店に着いたのは17時半ごろ。夜営業が始まって間もないからか、店内は空いていて助かりました。カウンター席に並べられた総菜類を眺めながら注文をお願いします。

 

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生中とよだれ鶏(正式な名前は鶏の辛みソースでした)。主役の餃子は少し焼き時間がかかるとのことなので、まずはこちらからつまんでいきます。

よだれ鶏は少しすっぱめの味付け。それが腑抜けきった僕の身体に突き刺さります。そのまま流し込むビールは言うまでもなく最高で、僕は一瞬でダメになってしまいました。ビールが苦手だった僕はもういません。全部夏が悪いんや。働いてないのも、バンドが売れないのも、全部、全部……。

神はこの世にいないのでしょうか。いや、仮にいたとしても僕の元に来てくれることはないのでしょう。三鷹市下連雀の片隅で神の不在を呪う今日の僕と、下北沢のライブハウスの片隅で「カッコよかったです~!!」なんて交友を温め合う共演者同士を睨みながら爪を噛んでいた昨日の僕とが重なりました。そのときです。

 

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かつて神は美しいひだと焼き目を身に纏った楕円の姿をとって人の世に降り立ったと言われています。そして神に救われた名もなきいつかの人々が、その姿を自らの身体の中に入れる(=食す)ことで現世にとどめ続けようとしたことが、現代まで伝わる餃子の起こりだとされているのです。

だからつまり、餃子を食べることは祈ることと良く似ています。充分に焼かれているにも関わらず潤いを失っていない皮や、ふんだんに使われている香辛料が奥行を感じさせる餡、そしてその全てをこぼさずにいることが困難なほど溢れ出る肉汁のそれぞれに、神の存在を感じずにはいられません。

今日もまた餃子の祝福を受けてしまいました。この世を呪っていたはずの僕や、食べながら(皮にも餡にもスープが練り込まれていそうだな)などと『ミスター味っ子』で得た知識を総動員させていた矮小な僕は、1500円のキリ良い会計を払った瞬間雲散霧消しました。

お店を出た瞬間、ここ数年で感じたこともないような晴れやかな気持に満たされていることに気が付きました。もしまたなにか迷うことがあったら餃子を食べよう。そうすれば、きっと何だって乗り越えられる。僕には餃子が、神の祝福がついているのだから。

 

 

食レポ、向いてないですね。

「餃子のハルピン」最高だったのでみなさんも行ってみてください。メニュー豊富なので何回も行きたい。

 

 

『1000の小説とバックベアード』を読みました。

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)

 

小説を書くこと。或いは小説そのものを題材とした挑戦的な内容でした。とは言っても創作論とかそういうことではなくて、もっと抽象的な話ですね。作中に出てくる「小説」という言葉はかなり柔軟に他の言葉と置き換えられそうだなと思いました。

メフィスト賞出身者らしい軽妙な語り口は好き嫌いあるかとは思いますが、スピード感を演出出来ていて効果的だったのではないでしょうか。というか僕みたいにライトノベルを読書の入り口にしていた人間には、こういう文体のほうが馴染みがいいですね。

「片説」「1000の小説」「『日本文学』」など出てくるワードも面白く、一気に読破してしまいました。『日本文学盛衰史』へのオマージュとのことなんですが、全体的な雰囲気も確かに高橋源一郎っぽいなとも思ったり。

 

だいたいこんな感じでーす。

生き延びてしまったのなら

今日は自分のバンドのライブでした。下北沢デイジーバー。昼過ぎに起床して16時半からのリハに間に合うように出発しました。

ドラムの足立くんが仕事の都合でリハーサルには出られないので、活動を再開してからは彼を除いた三人で行っているんですが、ようやく慣れてきた感じがありますね。

音を決めたらいくつかライブハウス側に注文をつけてパッパと退散。2時間ほど暇が出来たので、3人で街に繰り出します。

 

そこでふと前々からサングラスが欲しかったことを思い出し、岩井と生田くんに付き合ってもらう形で理想のブツを物色することにしました。

3店舗ほど見回っていると良い感じのがあったので購入。無難なデザインのものも欲しかったので、併せて2点購入しました。

 

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僕の顔面の不出来さはともかくとして、良い感じじゃないですか?「こんなやつ普段どこにいるんだよ」感がお気に入りです。

 

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無難な方はこちら。着用しているのは僕の師匠こと塚本氏です。特になんの師匠とかそういうのはないです。僕より似合っててズルい。

 

「夏満喫してるよね~」とかほざきながら(まだ梅雨だわ)デイジーバーに戻って、3人でサングラスを掛けて見つめ合ったりしてた(ただの威嚇行動です)んですが、共演の人からは完全にノータッチだったのでもう掛けるのやめようと思います。

というか今日マジで共演の人と会話なかったな……。まあいっかあ。

 

仕事を放棄(焦げ付いていたとのことです)した足立くんと合流するなどして、そんなこんなであっと言う間に本番。僕たちは2番手でした。

ライブの内容についてはトラブルもなく、良かったんじゃないでしょうか。最近は意識的にMCでたくさんしゃべるようにしているんですが、そこそこウケてくれてて嬉しいです。ときどきメンバーしか笑ってないようなこともありますが。

新しい曲もまあまあ良い感じだったんじゃないでしょうか。ワンコードだし、トレモロいっぱいかかってるしで、お気に入りです。夏はトレモロでキメろ!ってホットドッグプレスで読みましたから。

 

終演後は塚本氏の奢り(ありがてえ)で俺流塩に行きました。冷やし鶏そばを頼んだら担々麺っぽいのが出てきて面食らった(塩油そばみたいなのを想像してた)んですが、冷やし担々麺は好物だし、美味しかったので無問題です。写真は食欲に負けたので無いです。

そのあとブッキングの金子くんと少し話して帰宅。道中突然路上で塚本氏が携帯で「ラブストーリーは突然に」を流しながら小田和正とシンクロして歌い始めて笑いました。この人はバグっています。

 

あと吉祥寺駅から帰る途中で配信してたら、視聴者を交えた人生相談みたいになって、みんな大変なんだなあと思いました。

でもまあ皆さん僕よりは頑張ってるし偉いですよ。時には下を見て反面教師にするなり「まあこいつよりはマシか」と安堵するなりした方が良いかもしれませんね。その役割を担うためにも、僕はずっと最下位で居続けようと思います。

 次回ライブは7月18日に高円寺のUFO。大学の後輩でもある余命百年の山入端の企画です、頑張るぞい。

 

『モキュメンタリーズ』を読みました。

モキュメンタリーズ 1巻 (HARTA COMIX)

モキュメンタリーズ 1巻 (HARTA COMIX)

 

タイトルの通り、作者の分身でもある主人公の百名くんを狂言回しに据えたフェイク・ドキュメンタリーの形をとっている漫画なんですが、この形式の作品にあまり触れてきていない(映画では『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』なんかはそうですよね。『放送禁止』シリーズもそうか)こともあって、とても新鮮に感じました。

本作は1話完結式なんですが、個人的には第1話が特にお気に入りでした。百名くんが困窮のためにネットオークションで売り払った大量のアダルトビデオの中で、プレミア価格がついたものが一本。そしてその値段の吊り上がり方にはおかしなところがあって……という導入だけでかなり興味深かったんですが、スピーディな展開から綺麗な幕引きまで、とても良く纏まった話だと思いました。

それ以外にもバングラデシュでの自分探しやナポリタン誕生秘話、羽田~浜松間250キロを歩いてアイドルのライブに行こうとするオーストラリア人のオタク、といった個性的な題材が目を引きます。2巻以降が楽しみな作品です。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

当ブログ名は「人の悪意を見ないで済むならそれでいいです」の略です。

三鷹駅から少し歩いたところに連雀コミュニティセンターという古びた施設があって、最近はそこのフリースペースで読書をするのが週に何度かの楽しみになっています。

いつ行っても僕のほかには地域のお年寄りが新聞を読んでいるだけ、というような寂れっぷりなんですが、幼少の時分からもてなされるというのがなんだか窮屈で居心地が悪く、そのせいで喫茶店やカフェで落ち着いて読書をするという習慣がこの歳まで獲得出来なかった僕には、こちらの方がよっぽど読書に適した場所と言えます。

飲み物が豆からこだわった自家焙煎のコーヒーではなくて明治の紙パック自販機のものであることや、椅子や机の高さ設定がどの層を狙ったのか分からないような中途半端さ(子供には高く、大人には低い)で不便な上に、物自体も低質(椅子の背もたれはまるでただの添え木のような頼りなさです)であることを差し引いても、お釣りがくるなと感じる程度にはお気に入りの場所です。

 

これは日記で、そしてその書き出しがこのような形であるということは、つまり今日僕は連雀コミュニティセンターに行ったということなんですが、日記の持つ生活の記録としての側面を守るためには、6月18日の行動を起床から書き起こしていくほうが適切でしょう。

連雀コミュニティセンターへの愛が度を越してしまい、ある種日記としては邪道な書き出しとなってしまいましたね。猛省、猛省。なので以降そのようになります。

 

 

今日の起床時刻は7時30分でした。キリの良い数字なのは、表記上収まりが良いからではなく、アラームで起床したからです。

そんな早い時間にアラームをかけてまで起きるということはもしや……?とこの日記を連日お読みのみなさんも感づかれたことと思いますが、恐らくその予想は当たっています。体調の不良(という外面の良い口実を得て嬉々として)で2週間ほど労働を休んでいた僕ですが、本日めでたく「労働するつもり」での起床に成功しました。

……労働するのにつもりもへったくれもないだろう。御託はいいから働け。とお思いの方、それは危険な考え方です。なにせ僕は2週間も働かない生活を送っていたわけですから、そんな状態で急にフルタイムの労働に従事すると心身ともに多大なショックを受け、最悪の場合死に至る可能性だって多分にありえるのです。

飢餓状態での食事の大量摂取がショック死を引き起こす、という話をご存知の方も多いのではないでしょうか。労働についても全く同じことが言えます。僕はそうならないように、謂わば自衛の手段として「労働するつもり」での起床を選択したというわけです。

 

納得や同意が得られたかどうかはともかくとして、起床した僕はのんびりと朝食(カレーでした)を平らげ、適当にインターネットサーフィンを行ったあと普段出勤する際(2週間も離れてしまった習慣を普段と呼んでいいものかは甚だ疑問ですが)と同じ8時55分に家を出発しました。

ここで本日の「労働するつもり」での行動は終了です。起床から出発までの1時間25分を無事「労働するつもり」で過ごすことが出来ました。個人的には上出来と言ってよく、次回は上手く労働出来ることでしょう。きっと、おそらく、たぶん。

一日のノルマが終了したので、あとは余暇です。出勤時に利用する吉祥寺駅方面ではなく、三鷹駅方面へと足を運びます。

 

目指すは愛しの連雀コミュニティセンター……ではなく、井の頭公園です。当初の予定ではここで読書をして午前中を過ごす予定で、今日は連雀コミュニティセンターに行くつもりはありませんでした。梅雨に入って数日が経過したこの頃ですが、今日は運よく夕方手前まで天気がもちこたえてくれていましたしね。

併設の野球場で草野球でも観ながら読書しようと思っていたのですが、残念ながら今日は思ったよりも風が強く、読書が捗るコンディションではありませんでした。早々に本を閉じ、見るともなしに3イニングほど観戦(得点の動かない選手の緊迫と観客の退屈が同居した試合でした)したのち、誰に宛てるでもなく頭を下げて井の頭公園を後にします。

少し予定は狂いましたが動じる必要はありません。本日の梶原笙の運行については、運転手・車掌・乗客全てが僕なのですから。次善の策として、繰り上げの形で連雀コミュニティセンターに向かいます。

 

 

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

 

今日連雀コミュニティセンターに持ち込んだのは『人質の朗読会』です。数日前にアンソロジーで『巨人の接待』を読んで小川洋子作品に興味を持ったのはこの日記でも書いたことですが、その中でもあらすじで惹かれるところのあった本書をまず手に取りました。

 

南米のある村で、日本人7人と添乗員が乗ったマイクロバスが、遺跡観光を終えて首都に向かう帰路、反政府ゲリラに襲撃され、身代金と仲間の釈放を求める犯行声明が発表された。拉致現場は標高2000メートル級の山々が連なる山岳地帯、目新しい情報がないまま日本国内でのニュースの扱いは次第に小さくなっていき、遠く離れた地で起きているらしい事件に人々の関心は薄れていった。

ゲリラと政府の交渉は水面下で続き、発生から100日が過ぎたある日、軍と警察の特殊部隊がアジトに強行突入し、銃撃戦が繰り広げられた末に犯人グループ5人が全員死亡、特殊部隊員2人が殉職、犯人が仕掛けていたダイナマイトにより人質となっていた8人全員が死亡した。この凄惨な結末は、ニュースを忘れかけ、どこか楽観視していた世間の人々に大きなショックを与えた。

事件から2年後、国際赤十字が差し入れた救急箱などに仕掛けられていた盗聴器で、人質たちの音声が録音されたテープの存在が明らかになる。テープには人質8人がそれぞれ心に残っている出来事を物語として書き起こし、各人が朗読する声が収められていた。事件後、遺族を取材していたラジオ局の記者はテープが被害者が確かに生きていた証になると重要性を説き、かくして遺族の許可を得てラジオ番組『人質の朗読会』が放送されることとなった。】

 

これはウィキペディアに記載されているあらすじでプロローグを要約したものなんですが、もうこの時点で面白くないですか?本書は言うなれば「終わったところから始まる物語」で、その終わりかたというのがとんでもない悲劇なわけです。

あらすじからも察せられるかも知れませんが、本書は短編集の形をとっています。それまで別々の人生を歩んできていた8人が語る物語に繋がりはありません。本来バラバラでチグハグなこれらを一つの大きな物語として結束させているのは、巨大な悲劇その一点のみ。

最後に一つ外の枠からの物語が差し込まれてはいますが、語り手(もちろん文体も)も、物語としてのジャンルも、それが持つ温度も全く異なるのに、なぜだか綺麗にひとまとまりになっている。そんな奇妙な形の連作短編だなという印象が強く残りました。

 

あらすじを見ると少し重たい話なのかと思うかもしれませんが、実際にはそんなことはありません。8つの物語は不思議なものや美しいもの、後ろめたいものや人生を変えたきっかけのようなものまで、様々な出来事について語られていますが、どれも語り手のノスタルジィのようなものが反映されていて、不思議と暖かです。

ショッキングな設定や、語られる物語の内容(幻想的なものも少なくないです)など全体的に浮世離れしているところも本書の特徴でしょう。テーマやあらすじから受ける印象と内容との差に読み始めは少し戸惑ったのも事実ですが、必要以上に悲劇的な内容にならずに済んでいて良かったのではないでしょうか。

もしかするとこのファンタジックな部分が受け付けられない人もいるかもしれませんが、個人的にはとても満足出来ました。それぞれのエピソードも面白かったです。オススメです。

 

 

読むのには2時間ほど時間を要したと思います。館内は日曜ということもあって少し賑やかではありましたが、内容に没頭してしまえば気にならない程度でした。

時計を見ると正午を少し過ぎたところ。所要時間も含めて非常にちょうどいい時間の使い方ですね。散歩がてら遠まわりをして帰宅することにしました。

 

僕の家は吉祥寺と三鷹、それぞれの駅のちょうど中間あたりにあるんですが、散歩コースとしては断然三鷹側のほうが好きですね。人通りも少ないし、素敵な見た目の建物も多いです。

道中のあじさいをじっくり見るなどしつつ、一時間ほどかけて帰宅。それなりに歩いたので、昼寝にちょうど良さそうな心地よい疲れもゲット。手洗いうがいをして着替えると、のろのろと布団に入ります。

こういう過ごし方をしたのは久々だったんですが、とても良いですね。やはり早起きすると一日の充実度が段違いです。こういうささやかでも穏やかで充実した生活こそ贅沢だなと強く思いました。明日(日付的には今日ですが)のライブも頑張れそうです。終わり

 

 

 

 

夕方に起きて焼肉食べたらクソ美味くて最高でした。

焼肉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>読書・散歩・野球観戦その他

 

 

だいたいこんな感じでーす。