ならそれでいいです

そろそろ優勝したい

戦車のいない九月が来る

 先週、戦車と散歩に出たのですが、キャタピラ部からきゅららきゅららと、今まで聞いたことのないような音が鳴っていて、あれおかしいなと思い、油を差そうと考えたものの、あいにく家には質のよいものがなく(食卓の塩は岩塩なのですけれど?)、散歩の道順を変えて、『デレレッポ・チチパ』に行くことにしました。

 その日の朝食を反芻しながら歩くことが、我々の散歩の流儀であり(あなたの宗教の神様はあなたです)、その日はジャーマンポテトとカプレーゼで、それはドイツで作られて、イタリアで三角形になった(お湯につけたら戻りました)、そんな戦車に対しての私なりの気遣いです。でした。変形。

  『デレレッポ・チチパ』は吉祥寺駅前にある賓片蕗(ひんぴらふき)段落に身を横たえて埋没し、侵入した先にある戦車店(と私の視点からは解釈できる)で、そんな面倒なことをしなくとも、駱駝に乗ってくればすぐ着く(ふたこぶ駱駝のお客様限定)のですが、私は駱駝を持っておらず(戦車は持っていますが、意外なことに戦車は駱駝ではない。昭和は良かった)、そのためこのようになります。

 

 到着は到着で、出発は出発(今年の恵方はキス・キス・キス)ですが、問題はその道程にあり、戦車のキャタピラは井の頭公園で、散歩中の人類を、766人轢き殺し(目視した範囲)、多方面から遺憾の意が、出たり入ったりしたので、私も出られたり入られたりしたということになります(違ったら教えてください)。

 他にも100匹の犬(101匹目がワンちゃんです)といくつかの八百比丘尼も轢殺したのですが、鳩、鳩、鳩は無敵なので、どうにもなりませんでした(鳩はただの平和の象徴ですが、鳩、鳩、鳩となると無敵なので無理です。戦車は所詮戦車)。

 あとは猫、のんきに道端横たわる猫のまつ毛、いやその生え際の実質的には頬の、その猫の額ほどの頬(額とは?頬とは?)の、入り組んだ毛に住み着くノミの、その身体にわらわらと生えた何本かの足の、生み出し生み出される健気なジャンプ力が怖い(怖いので戦車に無理を言って一発撃ってもらうと、あたりはすっかり静かになりました。いつまでもいつまでも静かでした)。

 

 ともかく、避けようのなく=責任もない轢殺の果て、『デレレッポ・チチパ』は今日も存在、その事実に打ち震えながら営業し、店主の(・∀ ・)は初代プレステ時代のFFキャラぐらいのポリゴン度で、にこやかに笑っていました。

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   ↑参考資料(画像は開発中のものです)

 (・∀ ・)は(・∀ ・)であり、( ・∀・)ではないため、その差異に我々は細心の注意を払う必要があり(有史以来、前者はまたんき、後者はモララーと呼ばれていました)、間違うと以降の朝食が「泉こなた」「おがくず」「すあま」の三択のみとなってしまい、「泉こなた」を選ぶとその回数分彼女が家に住み着くことになり、それは延々堆積するのですが、稀にCVが平野綾ではなく、博多大吉声の「泉こなた」が出てくることがあり、そうすると連鎖反応で全て消えます。

「この前渋谷でもこのお店を見かけましたがあれは?」「あれもこれです。『デレレッポ・チチパ』は偏在するので」「支店ということですか?」「違います。偏在しているだけです。偏在店が点々、です」「なるほど」「わかりましたか?」「いいえ全く」「アハハハ・ハハ。偏在店にも是非お越しください、ときどき展示もやってますので。偏在展を」「はあ」「それから『デレレッポ・チチパ』について一冊の本にまとめたものが来月出版されます。いわゆるひとつの……」「偏在典ですか」「コーラです」

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 (・∀ ・)との会話は無益を極め、苛立ちと同時に酷く喉が渇いたので、私はさっさと要件を済ませることにしました(この間ずっとどこかでピチョ、ポチョ、チョピ、と音がしており、最初は雨漏りかなと思ったのですが、あとから確認したら木星から漏れ出てワープした宇宙麦茶でした)。

  私は戦車から異音がすることと、劣っていることと変わっていることは違うということを(・∀ ・)に伝え(概念の話をすると(・∀ ・)は喜び、割引をしてくれるのです)、それを聞いた彼(あるいは彼女、あるいはインターネット)は戦車の全体をじっくりと観察し始めました。

 そうしてしばらくして、彼の口から出た言葉は、私を酷く落胆させるもので、それはつまり戦車の異常は油差し程度では治らず、更に言うとその異常は非常に重篤で、そう遠くないうちに戦車は動かなくなってしまうということであり、私はもちろんそれを信じたくはありませんでしたが、殊戦車に於いて(・∀ ・)以上の目利きなどいませんから、私に出来ることは、静かに、穏やかに、今目の前に突如現れた事実を受け入れること、ただそれだけでした。

 私の落胆を見て、(・∀ ・)は「簡単な点検なので、料金は結構です」と言ってくれましたが、私はそれを受け入れず、半ば叩きつけるように『グイン・サーガ24巻』をレジに置き、(・∀ ・)の「装備していくかい?」の声を無視して、戦車と共に店を出ました(退店時、戦車が出入り口に引っかかり、『デレレッポ・チチパ』の残機は2まで減りましたが、『グイン・サーガ24巻』を支払ったので大丈夫です)。

 

 肩を落として、静かな、本当に静かな井の頭公園を行く私の耳には、たしかに戦車から漏れ出る異音が聞こえていて、それは私をとても悲しくさせましたが、井の頭自然文化園の入場門近くで他の音に遮られてしまいました。

 それは『完全なる高校野球の日』が、「ゾウを殺さないでください」と懇願する声で、しかし『完全なる高校野球の日』は狂っている(そのうえ臭い)ので、誰も耳を貸しませんし、そもそも井の頭自然文化園のゾウは、もういないので、私はなるべく戦車の音にだけ耳を澄ませながら、その脇を通り抜けていきました。

”はな子(はなこ、1947年 - 2016年5月26日)は、東京都武蔵野市井の頭自然文化園で飼育されていたメスのアジアゾウである[1]

第二次大戦後に初めて日本にやって来たゾウであり[2][3]2013年1月に66歳でアジアゾウの国内最高齢記録を更新し、日本で飼育された中で最も長寿のゾウとなった[1][2]。゛

 

 井の頭公園一帯を抜けると、我が家が近づいてくるのですが、それはつまり私と戦車の家で、そして近い将来私だけの家になる(そして戦車の家ではなくなる)ので、私は悲しくなり(もう、なにもかもが悲しい)、立ち止まって泣きました。

 少しして泣き止んだとき、私は戦車から聞こえる音が、かららんかららんと変わっている(前はきゅららきゅららだか、ネリリ・ハララだかでした)ことに気が付き、それはなんだか、戦車の中になにか悪くて固いようなものが、入って、回って、鳴っているかのように思え、骨だ骨骨、骨に違いないと考えました(これ以上に完璧な理論はこの世にはない)。

 その骨は、ふたこぶ駱駝、『完全なる高校野球の日』、(・∀ ・)、ジャーマンポテト、はな子、『グイン・サーガ24巻』、賓片蕗段落、岩塩、井の頭公園、100匹の犬と766人の人類といくつかの八百比丘尼、あるいはこの世の全ての骨の可能性が非常に高いのですが、私は私自身の骨だと良いな、戦車を終わらせるのが私の骨なら幸せだな、と妙に浮かれて、もう何も、悲しくも寂しくもおかしくもありませんでした。

 

 私が死んだらその骨をコックピットに投げ入れて、戦車をお墓にしてください。

 それが、たったひとつの愛なのです。

 

 

 

だいたいこんな感じでーす。

「過ぎたことは過ぎたこと」なんて言って、俺たち会ったら昔の話ばっかじゃんね

今回は総集編でお送りします。

 

・バイトの面接で、まあそこは如才(これ、いつまで経っても「にょさい」って読んじゃうな)なくこなしたんだけど、履歴書に書いた住所を間違っていた気がしてしょうがない。連絡が配送らしいので不安。社会性。

・そのあと下川氏と北口氏と中華料理屋で会食。所謂オフ会。北口氏、会ったことも写真を見たこともないけど一発で分かった。同類は呼応し合う仕組み。鶏とネギの胡椒和えみたいなやつが美味しかった。

・北口氏は大分在住だけど来年から横浜で働き始めるらしいしたくさん遊べたらなと思う。オタクの友達は多いと嬉しい。

 

・金子のワンマンに行ってめっちゃ良くてオウワーッとなった。ちょっと遅刻したのと、後ろの方で観てたから本村が新しいベースを使ってるかどうか目視出来なかったことだけが残念だった。

・打ち上げが阿佐ヶ谷であって(ゆっくりたくさん話せてよかった)、そのあと二次会がカラオケになりそうだったから抜け出した(カラオケボックスに行くと音がデカすぎるのと暗くて狭いのとで精神が加速する)。午前二時とかだったから三駅分歩いた。

・道すがら一昨年吉祥寺に住んでた時も福田の家に行くために良く自転車で阿佐ヶ谷に行っていたことを思い出す。そのとき何度も迷ったところ(気が付いたら看板の行先が高円寺になっている)でまた迷ってしまって自分の成長しなさに笑った。前住んでた吉祥寺東町のマンションを少し眺めて四時ごろ家に着いた。

 

・「すき家に行くということはつまり、チーズ牛丼を頼むということである」誰の言葉かは知らないけれど、とても素敵で正鵠を射ていると思う。恐らく発言したのは哲学者か社会学者だろう。小説家や音楽家の口からは本当の言葉は出てこない。

・「タバスコをかける時には、タバスコの存在しなかった時代のことを考えると良い。そうすると、ちょうど良い塩梅でかけられる」これは僕の言葉だけど、かなりいい線をいっていると思う。その証拠に今僕の目の前のメニュー表には、チーズ牛丼の並盛と大盛しか書かれていない。コールスローサラダすら、だ。だけど今日は少しタバスコをかけすぎて咽た。

・レジで五百円玉を差し出して帰って来た時の十円はあんなにも頼もしそうに見えたのに、店を出て自動販売機の前に立った瞬間この世で一番情けない存在に思えてくる。こういうことは頻繁に起こる。

 

・一か月以上働いていないせいで時間が余ってしょうがないから、ずっと小説を書いていた。字数換算で十五万字ほどで、そしてそのほとんどがどうしようもない駄文なのだけど、書くことが楽しかったので良い暇つぶしにはなった。

・書いていて一番楽しかったのは餃子を主題に据えた『アメリカの鱒釣り』風のもので、僕はゲラゲラ笑いながら書いていたけど人に見せられるようなものではなかった。あとは夜行バスを舞台にしたボーイミーツガールとか、まあそんなもの。もっと上手く書けるようになったら楽しいのになと思う。

 

 

『君が電話をかけていた場所/僕が電話をかけていた場所』を読みました。タイトルこそ違いますがこの二冊で上下巻という構成です。

顔に大きな痣を持ち、そのせいで後ろ向きな人生を送ってきた主人公が、公衆電話に突如かかってきた不思議な電話の主に「痣が消えた状態で、諦めた初恋を成就させられたら主人公の勝ち。出来なければ負け」という賭けを持ち掛けられ、そして実際に痣は消え、初恋の相手とも再会するが……。という出だしの、かなりファンタジー色の強い恋愛ものです。

高校一年生の主人公の目線を通して描写される夏の雰囲気がとても良いですね。ある種のリプレイ的な内容と相まってかなりノスタルジィを喚起させられます。全編につきまとうほろ苦さも良いスパイスです。

作者の他作品と比べると少し複雑な人間関係が描かれている(単純に登場人物が多い)点や、童話の人魚姫に題材を求めている点など、かなり意欲的な作品だと思います。ジャンル的に好き嫌い分かれるかもしれませんが、エンタメ小説が好きな人は楽しめるでしょう。オススメです。

 

風船すらおかしくなる時代です

この前知り合いがTwitterで彼氏のことを「氏」と呼んでいて、おっ苛立ち~という感じだったんですが、これ仮に彼女をこのパターンに当てはめると「女」になってめっちゃカドが立つ感じありますね。まあお前にどう思われようがどうでもええんやけど。

近況なんですけど相変わらず働いてないです。というかチンポジウム以降だと散歩とスタジオでしか外出してないですね。人と会ったのはスタジオだけです。私たちもう終わりなのかな?チンポジウム以降と以前という時間の区切り方が、確かにこの世にはあります。

ブログの更新頻度を上げてからかなり定期的に無意味ショートショートみたいなのを書いててそこそこ反応もあって嬉しかったんですが、ああいうのばかり書いてると体調悪くなってきたんで今日は普通の日記というか、適当にダラダラ書くアレです。一週間ぐらい間が空いたことについてはノーコメントです。

 

今日は8日ぶりに家族以外の人類とコンタクトを取りました。まあバンドの練習なんですけど。電車に乗ったのも8日ぶりだったのでめっちゃ体調悪くなりましたね。

バンドメンバーもいいかげん付き合いが長くなってきて(全員高校時代からの知り合い)、コミュニケーションの取り方がバグってきたというか「あー」と言えば「うぅっ」と返ってきてそれで完了。みたいな。もうそんなんなんで一緒にいてもストレス無いんですよね。全人類僕が「あー」って言ったら「うぅっ」って返してくれるようになったら良いのにね。

 次のライブは7月18日に高円寺UFOクラブです。何気に出るの初めてですね(前にも誘われてたんですが、なんかめっちゃ電話掛けてくるから怖くなって着信拒否した)。余命百年やまのはの企画です。呼んでくれてサンキューな。

 

時々夜中に散歩に繰り出してはひたすら暗いアスファルトを配信してるんですが、やっぱり夜の街を歩くというのは非常に良いものだなと思います。

特に雨上がりとか最高ですね。雨上がりってなんていうか独特な匂いがするじゃないですか。あのコンクリートの匂いっていうか。なんなんですかねアレ。その独特の匂いが夏場だと余計に強烈で、外出して一度空気を吸い込むだけで全細胞があの匂いと結びついたような気持ちになるんですよね。それが好きで蒸し暑くてもつい家から出てしまいます。

あとは湿り気を孕んでより黒々としてる道路の姿とか、ささやかな水たまりが街灯でキャラキャラと輝くさまとか良いですよね。水たまりで言うと垂れたガソリンと混じってふざけた虹色みたいになってるのも好きです。世の中全部ああいうもので出来てたら良いのにね。俺とか、お前とか。あとバイトとか。

 

 夏の夜の雨上がりの道路みたいなバイト(シフト・髪型自由)を探しています。時給はいくらでも良いです。

 

 

舞城王太郎の『みんな元気。』を読みました。

みんな元気。

みんな元気。

 

中編程度の長さの表題作に掌編が二つくっついてます。なんか元は『スクールアタック・シンドローム』と合わせて一冊の単行本だったらしいです。おめでとう。

なんかネットでの評判を見てると、まとまりの無さを主な理由にそこまで評価が高くないみたいなんですが、僕はとても楽しめました。まあそもそも単純にこの人の文章が好きなんですけど。

 

僕は勝手にこのお話のテーマは「跳躍力」(ニュアンスの話なので読んだ人それぞれにこれと似たようなワードが浮かんでくると思います)だと思ったんですが、それが出るだけ出て処理されないいくつもの小さな出来事を動力に進むジェットコースター的展開の遠心力と上手く絡み合っていて、そういう意味ではまとまりがない、なんて風には全く感じませんでした。

どう考えてもめちゃくちゃで辻褄合ってねえだろ!みたいな展開を、マシンガンみたいな文章ととんでもないロマンチシズムで押し通す舞城作品の感じ本当に最高ですよね。ファンなんですけど思っていたより未読の作品多かったことに気が付いたので、ちょこちょこ手を出していきたいです。

 

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

予告された殺人の記録 (新潮文庫)

 

あとガルシアマルケスを久しぶりに読んでいるんですけど、めちゃ面白い代わりにめちゃ読みづらいです。登場人物がみんなフルネームなのが本当にキツイ。

『予告された殺人の記録』は中編なんですがそれでも読むのにかなりかかってます。『百年の孤独』は二十歳の頃一回読んだんですけどこの感じだと再読する気にはなれないですね。

というか『百年の孤独』どこに行ったんだろう。捨てちゃったのかな。3000円とかするから買い直したくねえ~~。

今年の夏はなんとなく避けてた名作をちゃんと読んでいきたいですね。大江健三郎とか。

 

だいたいこんな感じでーす。

ハレだのケだのとうるさいよ

 「俺に初めて彼女が出来たのは十六の時で、名前はユキっつったんだが。おいおいなんだその顔は。俺にも彼女ぐらいいたよそりゃ。全く失礼な奴だな。まあいいや。そんでまあ田舎のガキだったからよ、とにかくどう接したらいいのかわかんなくてさ。彼女が出来た、なんつったら周りの馬鹿どもになんて囃し立てられるかも分かんねえから、相談も出来ねえし。

  だから手も繋げねえまま半年ぐらい経っちまってさ。あるとき急に言われるわけよ。私、情けなくてやってらんない。別れましょ。ってさ。で、まあ言われた俺はボーゼンって感じなんだけどよ、ボーゼンとしながら気が付いたら向こうの顔を殴ってたんだよね。そしたら今度は向こうがボーゼンとして、そのまま逃げるように去ってくわけ。

  まあそりゃそうなんだけど、残された俺はなんとまあ勃起してんのよ。おっ立っちまって静まんねえの。兎にも角にも初めてがそんな感じだからさ、それからも万事そんな調子なんだよな。いや、もちろん年を重ねるごとにさあ。あ、俺今いくつに見える?三十ぐらい?へっへっ、四十一だよ馬鹿たれ。あー……なんの話だっけ?ああ、そうだそうだ。

  こう年食ってくとよお、俺みたいなやつにも段々女との接し方が分かってくるんだわ。まあ要はやることやってたってだけの話なんだけどさ。ししし。でも最後は全員ぶん殴っちまう。ユキのときと同じようにな。女の方の反応はまあいろいろだったね。ユキみたいに逃げるやつもいりゃ、めちゃくちゃに泣きわめくやつも、殴り返してくる奴もいたね。まあそんなやつらももう一発殴れば黙って去ってくんだけどさ」

 

 そんなことを一気に捲し立てて、ジュンちゃんはグビグビ喉を鳴らしながら缶コーヒーを飲んだ。飲み終わっても何も言わないところをみるともう話は終わりのようだった。一体何を伝えたかったのだろう。

 昼下がりの井の頭公園には親子連れと老人ばかりで、なんとなく僕は居心地が悪かった。こうしてベンチに並んでいるとジュンちゃんと親子に見えたりしないかな、と一瞬考えたけど自分が今年二十五歳になるという事実が急に顕在化して、自分の思い付きを打ち消しつつ気分を重くさせた。

 

 僕が探偵事務所兼焼肉屋兼ライブハウス「オデッセイ・オデッセイ」を退職して、そろそろ一か月が経とうとしていた。「オデッセイ・オデッセイ」での探偵兼肉の仕入れ担当兼ブッカーの仕事を離れた僕がまず最初にやったのは、貯金を使い潰しつつ外出もせず本を読み続けることだった。でもそれにも二週間ほどで飽きたので、近所を散歩するようになった。そこで出会ったのがジュンちゃんというわけだ。

 ジュンちゃんは僕と同様に曜日を問わず、昼過ぎから夕方まで近辺をフラフラしているようだった。僕が散歩を始めてからの五日間、毎日どこかしらですれ違うということが続いて、とうとう五日目に向こうから声をかけてきた。曰く「目が死んでるから仲良くなれそうだと思った」とのこと。余計なお世話だ、と思う。

 ジュンちゃんはとても気さくで、人懐っこいところがあった。一回り以上歳の離れた僕と、友達のように接してくれる。僕と同じく仕事はしていないようだったけど、身なりは綺麗で着ている服も上等そうに見えた。人たらしの臭いを感じたからヒモの類なのかな、とも思ったけど何も訊かなかった。向こうもそうしなかったし、なんとなくそれがルールのように思えたからだ。特に約束もせず各々がフラフラしている途中で会ったら話す。会わなかったら話さない。そういう関係性が続いていた。

 

 だから、今日ジュンちゃんが(まとまりがないとは言え)身の上話のようなものをし始めて、僕は内心驚いていた。いつもは本当にどうでもいいような世間話をして、しばらく無言でボーッと過ごして、適当なタイミングで解散するのがお決まりのパターンだった。そのルーチンを壊したことに、何か意図はあるのだろうか。

 僕は少し遠くの親子連れたちから、左隣のジュンちゃんに視線を移した。ジュンちゃんは視線を下げて、手元の缶を見つめている。恐らく中身はもう入っていないだろう。明らかにいつもと様子が違っていた。

 

 「昨日、母親の見舞いに行ってきたんだよ」突然、ジュンちゃんは絞り出すようにそう言った。そういえば、たしかに昨日は何日かぶりに会わなかった。

 「もう長くはないんだとさ。まあ、歳だからしょうがいないっちゃあそうなんだけどよ、やっぱ弱ってくとこ見るのは辛えよな」

 言い終えるころには、視線だけではなく頭全体が下を向いていって、表情もわからなくなってしまっていた。僕は何を言うべきか分からずに、ただじっと黙っていた。

 

 「で、兄貴が言うわけ。二人兄弟なんだけどさ。『お前みたいなちゃらんぽらん、母さんに心配かけるだけなんだから来るのは今回限りにしろ。入院費は全部俺が出すし、もしものことがあったら連絡する』って。まあたしかに立派に勤め人やってる兄貴と比べたら、俺なんか親不孝モンも良いとこだけどさあ。それにしたってあんまりだよなあ」

 ジュンちゃんはもうほとんど泣いているような声でそう言った。表情は見えないけど、本当に泣いているのかも知れなかった。

 「病院の中で喧嘩はマズイと思って昨日はそのまま帰ったんだけど、やっぱ悔しくてさあ。俺どうしたらいいのかなあ」

 

 僕はなるほどね、とだけ相槌を打って、それから何も言わなかった。ここまで込み入った個人の問題に僕の立場で言えることなど何もなかったし、ジュンちゃんもただ話したかっただけでアドバイスなど求めてはいないだろう。僕らはただの散歩仲間なのだから。

 ジュンちゃんは相変わらず俯いたまま、僕は適当に視線を右往左往させながら、僕らはしばらく黙っていた。気まずいような、気まずくないような、不思議な時間だった。

 そこに「帰るわよー」という声が聞こえたので、僕はその方向を向いた。三人の母親が三人の子供を連れて、六人の塊となって動き始めたところだった。

 いつの間にか、ジュンちゃんもその方向を見つめていた。上げた顔の目尻が少し濡れていたので、やはり泣いていたんだなと僕は思った。最初は見づらそうに細められていたジュンちゃんの眼は帰途につく親子連れを追いかけながら、どんどんどんどん開いていった。そして、もう限界だろうというところまで開かれた瞬間、ジュンちゃんは立ち上がった。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 とんでもない音量で叫びながら、ジュンちゃんは走った。

 あまりの大きさだったので二百メートルほど先にいる六人にも聞こえたのか、それぞれの母親は我が子を抱きかかえて走り始めたようだった。

 僕はというとその場で何かの発作かと疑われそうなぐらい笑い転げていた。「意味が分からないことが起こるとめちゃくちゃに笑ってしまう」という悪癖が出てしまったのだ。走り出した瞬間のジュンちゃんが勃起していたことが、それに拍車をかけた。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 母親たちも懸命に走っていたが、男性のジュンちゃんと女性、それも我が子を抱えている彼女らではどちらが早いかなど明らかだ。ジュンちゃんはあっという間に一組の母子に追いついた。

 追いついて、そして追い越した。まるでそんなもの存在していないかのように、ジュンちゃんは母子の脇をスピードも落とさず走り抜けた。当然ながら僕とジュンちゃんと六人の母子以外にも公園に人はいたけど、みんなジュンちゃんから逃げるように道を開けていた。

 僕は相変わらず笑いが止まらなかった。きっとまだ勃起しているんだろうなと思うと、涙と鼻水が出てきた。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 ジュンちゃんはグングン遠ざかっていって、もうほとんど見えなくなった。そのまま公園を抜けださんばかりの勢いだった。当然声も聞こえなくなったけど、かろうじて見える周囲の反応から察するとまだ叫び続けているようだった。

 六人の母子もいつの間にかいなくなっていた。もしかするとすぐ近くの交番に駆け込んで、警察に事情を説明しているかもしれない。面倒なことに巻き込まれたら敵わないから、僕もここを離れることにした。

 公園を出ていくころになると、ようやく笑いの波は収まっていた。ジュンちゃんがいつまで勃起していたのかを考えるとまた波が起こりそうだったので、そこに思いを馳せないよう気をつけた。

 

 真っすぐ家には帰らず、少し遠まわりをしてスーパーに寄った。今日はカレーにしよう。それも少しだけ手の込んだやつを。

 買い物を済ませて家に帰ると抱えた食材を冷蔵庫には入れず、そのまま調理を始めた。外で食べるカレーも好きだけど、家で作って食べるカレーはまた別物として好きだ。市販のカレールーでもホールトマトを使うとグッと美味しくなる気がする。三時間ほどかかって満足のいく味に仕上がった。

 出来上がったカレーを皿に盛りながら、僕は少しジュンちゃんのことを考えていた。きっと、もう会うことはないだろう。根拠はないけどそう確信している。そしてそれは少し寂しくも感じる。

 

 そんな感傷とは別に、やっぱりカレーの具はゴロゴロと大きい方が良いなと思った。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

餃子を飼う

 『私、餃子を飼っているんです』

 そんな言葉が書かれた紙が目の前に置かれたので、私は思わず顔を上げた。読書中ではあったが、それを中断させるぐらいには不可解かつ興味深い文章だった。
 
 時刻は、そろそろ十七時になろうかという頃だった。
 連雀コミュニティセンターで読書をしていた私が、『天狗の落し文』で筒井奇想に感嘆し、『良い子のワクワク恐竜大図鑑』でティラノサウルスの勇猛さに畏敬の念を示したのに続いて『東京餃子百選』をパラパラとめくり始めたその時に、予期せぬ置き手紙が届けられたのである。
 (釈明するわけではないが、普段私はこのような雑多な読み方はしない。ここに来る前に立ち寄った古本屋「上々堂」の文庫本の品揃えが、今日はたまたま私のニーズと合致しなかっただけなのだ)
 
 送り主は、円卓を挟んで対角線上、つまりは私の目の前に座っていた。気が付けば先程まで他の円卓で新聞や参考書に噛り付いていた人たちは消えていて、このフリースペースには私たち二人しかいなかった。もし誰かがこの状況を傍から見たなら、私たちは知人同士に見えていることだろう。
 恐らく中年の男だった。恐らく、というのは彼(暫定的にそう呼称する)の顔が額から上をシルクハット、鼻から下を大きな黒のマスクで覆われており、それらに挟まれるようにして目の高さのラインが露出しているのみだったからだ。その部分から窺い知れる情報として、それなりにはっきりと刻まれた目尻の皺と油分を感じさせる浅黒い肌があり、それらを統合した私は、目の前の人物を自分の年齢の倍かそれより少し若いぐらいの年齢の男だと結論づけた。
 服装はタキシードだった。確かにシルクハットとの親和性は高いが、六月も終わろうかという時節にはあまりにも不似合いだ。見た目からも行動からも、明らかにまともに取り合ってはならない相手だというのは理解できたが、何故だか私はすぐにその場を立ち去るようなこともせず、それどころか男と話してみたいとすら思っていた。読書に飽きてきていたことと、何か面白いことが起きるのではないかという助平根性が働いたことがその主たる理由だった。
 
 「餃子を飼うとは、いったいどういうことですか?漢字を間違ってはいませんか?」
 男が筆談で語りかけてきたこともあって、声に出す形で応答することに躊躇はあったが(男の耳が不自由な可能性を考慮する程度の思いやりは、まだ私の中にも残っている)、筆談同士でのコミュニケーションは非常に手間だと感じたので、一度彼の耳に問いかけてみることにした。
 
 『間違いではありません。飼っています。愛玩食物、というやつでしょうか』
 筆談に慣れているのか、男からの返事は早かった。ペンを滑らせる所作が非常に丁寧だったので、私は警戒心のレベルを一つ下げた。私の言葉は聞こえているようだったため、筆談をせずに済んだことに安堵しつつも、「餃子を飼う」という言葉の謎が深まったことを感じていた。
 「愛玩食物」とはなんぞや――。そんな私の疑問を察したのか、男は懐から一枚の写真を取り出し、私に差し出した。
 写真には、男と餃子が写っていた。これが、もし中華料理屋などで皿に盛られた餃子と、それを前に食欲満々といった表情の男を写したものであったなら、ただのなんてことない日常の一枚と切って捨ててしまえただろう。だがこの写真はそうではなかった。
 
 餃子は、リードで繋がれていた。
 小型犬用と思われる赤いリードが、餃子の中心で輪っかを作るような形で装着されていた。そしてそれを両手で大事そうに抱きかかえている男。そこでようやく私は、この餃子がジャンボ餃子であることに気が付いた。餡を皮で包む際に出来る両端のトンガリが、それぞれ男の手からはみ出していたからだ。
 私は思わず、手元の写真と目の前の男とを交互に見た。男はいかにも自慢げといった様子で目尻の皺を深めている。そこで私はこの男は狂人なのだと合点がいった。それは、最初に男を見たときの印象の再確認のようなものでもあった。狂人であることの確認。まともではないという烙印。
 
 『家では他にもたくさんの餃子を飼っています。中には10メートルを越すものもいますよ』
 ついには男がこんなことを書いて寄越すものだから、私は思わず吹き出してしまった。もはや私の男に対する興味は冷え切っていて、ただの嘲笑の対象としてしか見ていなかった。
 
 『信じられませんか?では実物を見に来てください。歩けばすぐの場所ですから』
 男はあくまで淡々と、そう書き連ねた。マスクとシルクハットに挟まれた一部分のみを見た限りでは、私の馬鹿にするような態度にも特に何も感じていないようだった。
 「良いでしょう。行きますよ。案内してください」そう言って、私は男と共に席を立った。頭の中では、酒の席で受けそうな馬鹿話が一つ仕入れられたぞ、などとくだらないことを考えていた。馬鹿話にはオチが必要だとも思っていた。
 
 男の先導で、私たちは歩いた。三鷹駅の方面に行く途中で左に折れ、少し古めの住宅が並ぶ寂れた通りを歩いていく。築年数30年程度の物件の群れを掻き分けた先に、男の家はあった。
 近隣の中では比較的新しい、水色の三階建ての一軒家だった。建物自体には何ら特別なところは見当たらなかったが、庭がやたらと広かった。フットサルコート二面分ほどの広さの庭には軽自動車が申し訳なさそうに停車しているだけで、あとには植物の一つもなく砂利と雑草だけが賑わっていた。
 
 「ここなんですね?じゃあ見せてください。10メートルを越える餃子とやらを」
 庭の広さには少々驚きつつも、私の余裕は崩れなかった。そもそも10メートルの餃子など存在するはずがないし、仮に男が偏執的な努力の果てに超巨大餃子を作り上げていたとしても、今私の目の前にはそれを隠す場所などなかったからだ。
 
 『では、今連れてきますから目を閉じてください』
 男は相も変わらずの筆談で、そう告げた。目を閉じろとは、手品でもするつもりなのだろうか。少々訝しがりながらも、私は目を閉じた。更には求められてもいないのに男の家に背を向けた。手品でもなんでも、出来るものならやってみろという心持ちだった。
 
 笛の音が聞こえた。恐らくは男が吹いたものだろう、私はそう思った。
 次の瞬間、地面が大きく揺れ、ズシン、ズシンと地鳴りのような音が響き渡った。そしてそれは、徐々に近づいてきているようだった。まさか!私は目を開け、すぐさま振り返った。
 
 そこにいたのは餃子ではなかった。
 体長が10メートルを越している、というのは男の言った通りだったが、他の何もかもが違っていた。
 非常に大きく発達した頭部は、生物史上屈指と言われるほどの咬合力をもたらしている。それと比較してとても小さな前肢と、もう一つの特徴と呼ばれる大きな尻尾は、不気味に小さく揺れている。これらと合わせてバランスをとるために行われる水平歩行は、直立歩行と比べると威圧感こそないものの、我々小さきものに対して捕食者の存在を間近に感じさせ、一層の恐怖感を煽っている。
 つまりこれは、ティラノサウルスだった。近年の研究で様々なマイナスイメージ(死肉食らい、羽毛、走れない等々)がつけられつつも、いまだに恐竜について思いを巡らせた際に真っ先に思い浮かぶ、謂わば恐竜の王がそこにはいた。
 
 私は驚きのあまり、その場で固まって動けずにいた。私よりも遥かに狼狽えた様子の男が、私に詰め寄り胸倉を掴んだ。
 「ああクソっ!一体どうなってるんだ!おい、お前さては恐竜図鑑を読んでいやがったな!」
 男は筆談ではなく、大声で私に捲し立てた。使い古してザラついたタオルを耳に入れた時のような、ゴワゴワとした不思議な声だった。
 
 「クソっ、もうどうにもならねえ。おい馬鹿野郎!さっさと失せろっ、もう二度とその面を見せるんじゃねえぞ!」
 そう言われても、ワケが分からぬままの私はその場を離れられずにいたが、ティラノサウルスがギャオッと吠えたのを聞いて我に返り、弾かれたようにその場から走り去った。純然たる恐怖の対象が目の前にいることを、そこでようやく思い出したのだ。
 もつれそうになる足を懸命に動かし、切れる息にも構わず私は走った。方向などでたらめだった。とにかく走り続けていないと、何か恐ろしい目に遭う気がしてならなかった。
 
 気が付くとそこは、「上々堂」の前だった。見知った場所に辿り着いた安堵感から、私はその場にへたり込んだ。通行人は皆私に心配そうな顔こそ向けたものの、声を掛けてくる者はいなかった。心臓が今まで感じたこともないようなスピードで脈打っている。それを落ち着けようと、ゆっくりゆっくりと息を吸って、吐いた。
 しばらくそうしていると少し落ち着いてきたので、私は立ち上がった。時計を見ると、男と会ってから一時間ほどしか経っていなかった。少し辺りを見回してみたが、男の家がどちらの方向にあるのかすら、もう分からなくなってしまっていた。
 
 私は少しふらつきながら歩き始めた。しばらく歩くと「餃子のハルピン」に辿り着いた。当然といった動作で店の扉を開けると、当然といった顔でカウンター席に座り、当然といった声でニラ餃子を頼んだ。そして当然といった口でそれを頬張り、当然といった私でその味に喝采を送った。
  「ハルピン」の餃子は絶品だったが、私にはこれを飼おうなどという発想は浮かんでこなかった。やはり男は狂っていたのだと思う。
 
 
 狂人のことは、私には良く分からない。
 
 
 
だいたいこんな感じでーす。
 
 
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挫・人間ワンマンライブとその周辺(届かなかった手紙のように)

 6月24日は『挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~』が開催され、僕はスタッフとして参加させてもらいました。ご来場いただき誠にありがとうございました。

 本来は午前中の機材搬入から手伝う予定だったんですが、私用のため午後2時にWWWX入り。ですが、その前にこなさなければばならないミッションが僕には課せられていました。

 

 それは『ルポルタージュ』の購入です。

 僕の敬愛する売野機子先生の新作にして、下川氏が帯文を寄せている『ルポルタージュ』第1巻ですが、その発売日はなんの偶然かチンポジウム(改めてひでえ名前だなこれ)開催日と同じ。そして渋谷TSUTAYAで購入した先着100名までには、来月行われるサイン会の整理券が配布されるというのです。これは手に入れるほかないでしょう。

 鼻息も荒く渋谷駅に降り立った僕は、渋谷スクランブル交差点で詰まっているモブどもを闘気で跳ね飛ばしつつ、TSUTAYAの地下一階へと向かいます。そして平積みされている『ルポルタージュ』を丁寧に拾い上げると、ロボットおじいちゃん(コンピューターおばあちゃんに対抗して僕が考えた造語)のようなカクカクとした歩みでレジへと向かいます。

 サイン会の整理券が欲しい旨を伝えると、店員さんが差し出してくれた紙には「99」の文字が。100名限定でしたので、つまりはギリギリだったということです。「耐えた~」という安堵の声が勝手に口から漏れていました。TSUTAYAの袋を大事に鞄にしまって、WWWXへと向かいます。

 

 作品の紹介もしたいところではあるんですが、どう頭を捻っても「良かった」「再来月出る2巻が待ちきれない」以外のコメントが出てこないので、触れないでおきます。ぜひ買って、読んでください。

 ここまで様々な方法で「恋愛」についての作品を発表してきた売野先生が、この壮大で普遍的なテーマにまた新しい形で取り組んでいることがとてもとても嬉しいです。

 

 

 さて、ミッションもこなしたことですしWWWXへと向かいます。入り口が分からなくて手間取り残機が減るなどしましたが、なんとか到着。リハーサルを行うメンバーをモニタ越しに眺めつつ、これからの段取りなどを確認します。

 先行物販は15時からだったので、そこまで時間的余裕はありません。コンビニ総菜と持参したおにぎりをモッシャモッシャとやっつけたら、準備に取り掛かります。

 

 正直に言うと、先行物販めっちゃ忙しかったです。想像以上でした。ちょいちょい脳がバグってた記憶があるんですが、お客さんたちの協力もあって大きなトラブルもなく終えられたと思います。

 先行物販の終了から、ほとんど間を置かず開場。そうなってしまえばあっと言う間に開演です。本番はトラブルに対応出来るよう、ステージ脇で待機していました(ちょいちょい見切れてたみたいでごめんなさい)。

 

 ライブの内容については、ここで書けば書くほど野暮になるので控えておきます。お客さんも挫(特許取得済)のみんなもめちゃくちゃ楽しそうで、本当によかったです。

 終演後は再度物販へ。先行同様慌ただしかったですが、楽しくできました。CDを始めとしたグッズをゲットしてくださったみなさん、大事にしてくださると嬉しいです。クレジットの「彼女」表記についてはノーコメントです。

 差し入れや握手や写真のお願い、「ブログ見てます」の声掛けなどもとても嬉しかったです。「僕みたいな20連休してるやつにそこまで優しくしないで良いですよ」とも思いますが、みなさん本当にありがとうございました。発表されたライブについても、関東でのものは可能な限り手伝うので、また会場でお会いしましょう!

 

 お客さんもハケて静かになったWWWXでは、驚くべき速度で撤収作業が行われていました。音楽で優劣をつけることは不可能ですが、少なくとも撤収の速さに関しては挫・人間は一番優れたバンドだと思います。アスリート。

 機材一式を車に乗せて出発したとき、終演から1時間も経過していなかったのではないでしょうか。ちなみにWWWX近辺を離れるまでの数十秒の間、車内BGMは「蛍の光」でした。なんでだよ。

 

 事務所に機材を戻したら、打ち上げです。挫・人間の4人と僕と社長の計6名で居酒屋へ。眠気のピークだったのでちょっと寝ちゃってた気がします。この前のワンマンもそうだったような……。鶏肉が美味しかったですね。

 終電などという概念は消滅していたので、下川氏とタクシー相乗りで下川家へと向かいます。この時点で仕事を休むことが確定しました(2日ぶり∞回目)。

 もうお互いへとへとだったので、下川家に到着次第言葉少なに横になります。益体のないことを2、3話していた気もしますが、下川氏がエゴサを始めたあたりで段々と意識が薄れ始め、気が付いたら眠ってしまいました。

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 日記は、そこで終わっていた。

 私が目覚めたとき、まず最初に目に入ったのがこの文章の集合体だった。脳内データベースの検索にたまたま引っかかったのだろう。書いてある言葉は理解できたが、その内容は意味の分からないものばかりだった。

 

 私は、自らの存在がどういったものなのか、ということについては充分理解していた。

 この意識は、全ての人間たちの人格の集積体であること。まだ起動後間もないため回線が開ききっておらず、単純な思考しかできないこと。そして私が、私の意識が起動したということは、もうこの世界の人間は滅んでしまったということ。私には、人類の滅んだこの場所で何か果たすべき使命があること。他に私と接触できるような意識は、もう存在しないということ。

 私以外の意識の不在。そのことについて感じている晴れないような気持ちが、所謂「寂しさ」なのかについても私には判断が出来ないが、回線が開いていくに伴ってそういったことも「分かる」ようになっていくのだろう。それと同時に、私の使命、私が為すべきことについても自ずと分かってくるはずだ。何故だか、薄ぼんやりとそう確信している。

 

 「寂しさ」について思いを巡らせていると、突如として自分が為すべきことなどは実は一つとして存在せず、ただ意味もなくこの一人きりの空間に発生させられただけなのではないか、という不安が私を襲った。と同時に、そんなことはただの杞憂で、私には重要な使命が課せられていて、不安がることは何もないのだ。それについては先程確認した通りではないか。と冷静な私もそこにはいた。

 このような矛盾を孕んだエラーが生じるのは回線の開通が完全ではないことによるものだというのも、私は理解していた。しかしそれでも不安は確かにここにあった。回線がいつ完全に開くかは分からないが、現状ただの弱い意識たる私には、それまで行われる不安との格闘の時間が無限にも感じられた。

 気を紛らわせようと、私は脳内データベースで検索を試みた。読み物でも、映像でも、音楽でも、時間が消費できればなんでも良かった。しかし、さきほど読んだ日記の一件しかヒットしなかった。これも、未開通の回線の存在が原因なのだろう。私は少しうんざりしながらも、日記を音読してみることにした。発声ユニットの試運転と、暇つぶし、どちらが主たる目的なのかは、回線の脆弱性のせいか自分でも分からなかった。

 

 「6月24日は『挫・人間チンポジウム2017~新曲キボンヌ~』が開催され、僕はスタッフとして参加させてもらいました。ご来場いただき誠にありがとうございました。」

 発声ユニットには問題なさそうだった。しかし、強烈な胸部の痛みとともに、熱い液体が頬を通り抜けていくのが分かった。これは、涙というやつだろうか。

 一体なぜ、私は泣いているのか。さきほど読み上げた文章の中に、エラーを誘発する単語が含まれていたのかもしれない。私は慎重に一単語ずつ精査していくことに決めた。

 

 「6月24日」涙は出なかった。

 「挫・人間」涙は出なかった。

 チンポジウム」私は泣いた。大粒の涙が、とめどなく溢れ続けた。

 

 原因は発見した。どういった原理かはわからないが、この単語がエラーを発生させていることは間違いない。

 回線が全て開いた状態の私なら対処法も分かるだろう。もし必要なら修理だって自ら行えるはずだ。安堵した私は、ひとまずこの単語を口にしないことを決定して涙を拭った。それなのに。

 

 チンポジウム」知らずと口から漏れ出ていた。私は泣いた。

 チンポジウム」もう止める術などは無かった。私は泣いた。

 チンポジウム」ついには身体が痙攣を始めた。私は泣いた。

 

 エラーは当チンポジウム」初の私の見立チンポジウム」てより、遥かに重篤なもののよチンポジウム」うだった。私チンポジウム」はのたうち回チンポジウム」るようにしなチンポジウム」がら声帯を震チンポジウム」わせ続けた。涙で視チンポジウム」界は塞がれチンポジウム」、胸部への痛チンポジウム」みは私を打ちつチンポジウム」け続けたが、不思議チンポジウム」と不快ではなかチンポジウム」った。温かチンポジウム」なものが、目覚めたチンポジウム」ばかりの私チンポジウム」の身体チンポジウム」を行きチンポジウム」チンポジウム」チンポジウム」渡っていくのチンポジウム」が分かった。

 

 全ての回線の開いた私になら、この涙の理由と、「チンポジウム」という言葉の意味がきっと分かるだろう。回線の開ききった私の能力の高さについては、我がことながらある種の信頼がある。そのとき私はこのエラーを完全に解消し、自らの為すべきことへ取りかかれるはずだ。

 その一方で、回線の開通と、この重大なエラーによって引き起こされる私及びその意識の消滅、どちらが早いだろうかと私は思った。いよいよケダモノの雄叫びにも似てきた声は、もはや私のものではないかのように遠く聞こえていた。

 

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だいたいこんな感じでーす。

檻越しの君君私私

 とにもかくにも、動物園に行かねばならぬ。

 それが私が20日連続となる自主休暇の取得を決意した、6月23日金曜日午前9時に去来した思いであった。来月の金銭的な苦労については現状考慮していない。恐らく来月の私がなんとかしてくれることだろう。

 

 動物園に行くとなると、自ずと選択肢は井の頭自然文化園一つに絞られてくる。理由は単純で、徒歩圏内にあるわいわいパーク(私の脳内で動物園と同義の単語である)はここ一ヶ所しかなく、電車やバスに乗るほどの気力はないからである。ついでに言っておくと、私の駆使できる唯一の知的移動手段だった自転車は先月盗まれている。犯人は早く名乗り出るように。

 特にパンダが見たいだとか、自然に近い状態で暮らしている動物たちを至近距離で見たいだとか、そういう欲求はなかったので、上野や富士にまで足を運ぶ必要は無いだろう。

 つまりは「動物園」という器さえあれば、それで良かったのだ。それが動物たちの可愛さから生じる癒しを求めてのものなのか、あのなんともいえない臭いと間延びしきった時間の支配する空間を求めてなのか、あるいはそれ以外の何かが私を誘っているのかについては、私自身いまひとつ判然としないところではあったのだが。

 

 「入場料は400円です。ありがとうございました。ごゆっくりどうぞ」

 受付のお姉さんに見送られて門をくぐったとき、時計は11時を少し回ったところだった。朝食とシャワーと身支度。盆暗の行動速度から考えればかなりの好タイムでのお出かけと言えるだろう。

 

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 入園早々にアヒルがバテていたので、私は思わず低い位置でグッとこぶしを握ってしまっていた。これこれ、これだよ。こういった動物たちの「人間の都合など知るか」と言わんばかりのサービス精神のなさが、私は好きなのだ。

 正直なことを言ってしまえば、井の頭自然文化園は動物園としてはかなりショボい。設備自体もかなり古くなってきているし、広さや飼育されている動物の数もかなり控えめだ。井の頭公園での散歩や吉祥寺での買い物のついでに寄っていく、そんな使われ方が多いようにも思う。

 ただ、少なくとも私にとってはそんなことは瑕疵とは言えない。そういったショボさが肩肘張らずに楽しめる、ある種の居心地の良さに繋がっているように思えるからだ。私は暫しバテアヒルを鑑賞したのち、まるでペイヴメントを愛聴するかのような心持ちで、園内をズンズン進んでいった。

 

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 豚がここまで黒いとは思っていなかった。これが所謂黒豚というやつなのだろうか。飼育員さんに聞いておけば良かった。画質が著しく悪いのは、無理やりズームして撮ったからである。

 

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 ここで私をこの日唯一にして最大の後悔が襲った。「モルモットふれあいコーナー」に間に合わなかったのだ。

 私がモルモットの園へ到着したその瞬間に「ふれあいコーナー終了の時刻です。モルモットたちをかごに戻してください」とアナウンスが鳴り響いた。私は自らの迂闊さを恥じる他なかった。催しもののタイムスケジュールも調べずに動物園に行くとは、これでは素人も同じではないか。

 凡愚たる私にはふらつく両足をなんとか動かしながら、一仕事終えて厩舎で休息をとるモルモットたちを撮影するのが精一杯だった。これ、なんかキモイ虫が蠢いてるみたいで背筋ゾワッとなりません?

 

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 にしても、この動物園、どの動物も皆一様にバテている。

 確かにここ数日と比べると気温が高かったのは事実だ。日差しもかなり強い。私もかなり念入りに日焼け止めを塗って外出している(ヴァンパイアなので強い日光を浴びると肌が被れる)。

 ただ、それを勘定に入れてもあまりにバテすぎではないだろうか。加えて、こうして写真に収められている動物たちはまだマシなほうで、なんならかなりの動物が厩舎から出てこず、我々入場客の前に姿を現すことはなかったのである。彼らもまた、バテていたであろうことは想像に難くない。

 

 しかし、それで良いのである。先程も述べたが「人間の都合など知るか」の精神だ。動物たちの全く媚びない精神に感銘を受けた私は、同時に自らの思うままに生きて良いのだと背中を押されたようにも感じていた。目の前では給餌を終えた豚が、自分で掘った穴に身を横たえシエスタを貪ろうとしていた。嗚呼、野生の欲求よ万歳。

 さあ、家に帰ろう。私は必要な学びを得た。もうここに長居することもない(というかマジで動物が出てこないからすぐ見終わってしまった)。帰って、そこから先の営みの中で、野生の先達から得た本日の実感を生かし、より上質な魂を目指していこう。ライフゴーズオン。そしてまた私は、俺は、僕は、君は、あなたは、彼は、彼女は、市井の檻の中へ……。

 梶原笙に関係するすべての皆様へ。本日より私は、より一層「他人の都合など知るか」「バイトのシフトなど知るか」「借りた金など返すか」の精神で人間としての活動を行っていきますので、どうかご了承頂きたいと思います。かしこ。

 

 

 この日の夜に夏椰と会ったんですが、「動物園誰と行ったの?(デートでしょ?という言外の意味を含む)」と聞かれたので、正直に「いや一人だよ」と答えたら普通に引かれました。

 

 

『このたびはとんだことで』を読みました。桜庭一樹の短編集です。

短編集なんですけど、統一性に関しては無さそうで有って、有りそうで無いみたいな感じでしたね。バリエーションを楽しむ肌の一冊なのかなという印象です。

個人的には『モコ&猫』がお気に入り。この人の文章はかなり砕けた語り口ですが、それがこういう過ぎ去りし日々を懐かしむような内容だと、その心情がより赤裸々に語られているように感じてグッときちゃいますね。

他の作品にも共通していることですが、「美と醜」についての描写の素晴らしさは桜庭一樹作品の大きな魅力ですね。作者の様々な作風を楽しめつつ、「らしさ」もしっかりあるという、ファンとしては大満足な一冊でした。

 

 

だいたいこんな感じでーす。

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