ならそれでいいです

そろそろ優勝したい

当ブログ名は「人の悪意を見ないで済むならそれでいいです」の略です。

三鷹駅から少し歩いたところに連雀コミュニティセンターという古びた施設があって、最近はそこのフリースペースで読書をするのが週に何度かの楽しみになっています。

いつ行っても僕のほかには地域のお年寄りが新聞を読んでいるだけ、というような寂れっぷりなんですが、幼少の時分からもてなされるというのがなんだか窮屈で居心地が悪く、そのせいで喫茶店やカフェで落ち着いて読書をするという習慣がこの歳まで獲得出来なかった僕には、こちらの方がよっぽど読書に適した場所と言えます。

飲み物が豆からこだわった自家焙煎のコーヒーではなくて明治の紙パック自販機のものであることや、椅子や机の高さ設定がどの層を狙ったのか分からないような中途半端さ(子供には高く、大人には低い)で不便な上に、物自体も低質(椅子の背もたれはまるでただの添え木のような頼りなさです)であることを差し引いても、お釣りがくるなと感じる程度にはお気に入りの場所です。

 

これは日記で、そしてその書き出しがこのような形であるということは、つまり今日僕は連雀コミュニティセンターに行ったということなんですが、日記の持つ生活の記録としての側面を守るためには、6月18日の行動を起床から書き起こしていくほうが適切でしょう。

連雀コミュニティセンターへの愛が度を越してしまい、ある種日記としては邪道な書き出しとなってしまいましたね。猛省、猛省。なので以降そのようになります。

 

 

今日の起床時刻は7時30分でした。キリの良い数字なのは、表記上収まりが良いからではなく、アラームで起床したからです。

そんな早い時間にアラームをかけてまで起きるということはもしや……?とこの日記を連日お読みのみなさんも感づかれたことと思いますが、恐らくその予想は当たっています。体調の不良(という外面の良い口実を得て嬉々として)で2週間ほど労働を休んでいた僕ですが、本日めでたく「労働するつもり」での起床に成功しました。

……労働するのにつもりもへったくれもないだろう。御託はいいから働け。とお思いの方、それは危険な考え方です。なにせ僕は2週間も働かない生活を送っていたわけですから、そんな状態で急にフルタイムの労働に従事すると心身ともに多大なショックを受け、最悪の場合死に至る可能性だって多分にありえるのです。

飢餓状態での食事の大量摂取がショック死を引き起こす、という話をご存知の方も多いのではないでしょうか。労働についても全く同じことが言えます。僕はそうならないように、謂わば自衛の手段として「労働するつもり」での起床を選択したというわけです。

 

納得や同意が得られたかどうかはともかくとして、起床した僕はのんびりと朝食(カレーでした)を平らげ、適当にインターネットサーフィンを行ったあと普段出勤する際(2週間も離れてしまった習慣を普段と呼んでいいものかは甚だ疑問ですが)と同じ8時55分に家を出発しました。

ここで本日の「労働するつもり」での行動は終了です。起床から出発までの1時間25分を無事「労働するつもり」で過ごすことが出来ました。個人的には上出来と言ってよく、次回は上手く労働出来ることでしょう。きっと、おそらく、たぶん。

一日のノルマが終了したので、あとは余暇です。出勤時に利用する吉祥寺駅方面ではなく、三鷹駅方面へと足を運びます。

 

目指すは愛しの連雀コミュニティセンター……ではなく、井の頭公園です。当初の予定ではここで読書をして午前中を過ごす予定で、今日は連雀コミュニティセンターに行くつもりはありませんでした。梅雨に入って数日が経過したこの頃ですが、今日は運よく夕方手前まで天気がもちこたえてくれていましたしね。

併設の野球場で草野球でも観ながら読書しようと思っていたのですが、残念ながら今日は思ったよりも風が強く、読書が捗るコンディションではありませんでした。早々に本を閉じ、見るともなしに3イニングほど観戦(得点の動かない選手の緊迫と観客の退屈が同居した試合でした)したのち、誰に宛てるでもなく頭を下げて井の頭公園を後にします。

少し予定は狂いましたが動じる必要はありません。本日の梶原笙の運行については、運転手・車掌・乗客全てが僕なのですから。次善の策として、繰り上げの形で連雀コミュニティセンターに向かいます。

 

 

人質の朗読会 (中公文庫)

人質の朗読会 (中公文庫)

 

今日連雀コミュニティセンターに持ち込んだのは『人質の朗読会』です。数日前にアンソロジーで『巨人の接待』を読んで小川洋子作品に興味を持ったのはこの日記でも書いたことですが、その中でもあらすじで惹かれるところのあった本書をまず手に取りました。

 

南米のある村で、日本人7人と添乗員が乗ったマイクロバスが、遺跡観光を終えて首都に向かう帰路、反政府ゲリラに襲撃され、身代金と仲間の釈放を求める犯行声明が発表された。拉致現場は標高2000メートル級の山々が連なる山岳地帯、目新しい情報がないまま日本国内でのニュースの扱いは次第に小さくなっていき、遠く離れた地で起きているらしい事件に人々の関心は薄れていった。

ゲリラと政府の交渉は水面下で続き、発生から100日が過ぎたある日、軍と警察の特殊部隊がアジトに強行突入し、銃撃戦が繰り広げられた末に犯人グループ5人が全員死亡、特殊部隊員2人が殉職、犯人が仕掛けていたダイナマイトにより人質となっていた8人全員が死亡した。この凄惨な結末は、ニュースを忘れかけ、どこか楽観視していた世間の人々に大きなショックを与えた。

事件から2年後、国際赤十字が差し入れた救急箱などに仕掛けられていた盗聴器で、人質たちの音声が録音されたテープの存在が明らかになる。テープには人質8人がそれぞれ心に残っている出来事を物語として書き起こし、各人が朗読する声が収められていた。事件後、遺族を取材していたラジオ局の記者はテープが被害者が確かに生きていた証になると重要性を説き、かくして遺族の許可を得てラジオ番組『人質の朗読会』が放送されることとなった。】

 

これはウィキペディアに記載されているあらすじでプロローグを要約したものなんですが、もうこの時点で面白くないですか?本書は言うなれば「終わったところから始まる物語」で、その終わりかたというのがとんでもない悲劇なわけです。

あらすじからも察せられるかも知れませんが、本書は短編集の形をとっています。それまで別々の人生を歩んできていた8人が語る物語に繋がりはありません。本来バラバラでチグハグなこれらを一つの大きな物語として結束させているのは、巨大な悲劇その一点のみ。

最後に一つ外の枠からの物語が差し込まれてはいますが、語り手(もちろん文体も)も、物語としてのジャンルも、それが持つ温度も全く異なるのに、なぜだか綺麗にひとまとまりになっている。そんな奇妙な形の連作短編だなという印象が強く残りました。

 

あらすじを見ると少し重たい話なのかと思うかもしれませんが、実際にはそんなことはありません。8つの物語は不思議なものや美しいもの、後ろめたいものや人生を変えたきっかけのようなものまで、様々な出来事について語られていますが、どれも語り手のノスタルジィのようなものが反映されていて、不思議と暖かです。

ショッキングな設定や、語られる物語の内容(幻想的なものも少なくないです)など全体的に浮世離れしているところも本書の特徴でしょう。テーマやあらすじから受ける印象と内容との差に読み始めは少し戸惑ったのも事実ですが、必要以上に悲劇的な内容にならずに済んでいて良かったのではないでしょうか。

もしかするとこのファンタジックな部分が受け付けられない人もいるかもしれませんが、個人的にはとても満足出来ました。それぞれのエピソードも面白かったです。オススメです。

 

 

読むのには2時間ほど時間を要したと思います。館内は日曜ということもあって少し賑やかではありましたが、内容に没頭してしまえば気にならない程度でした。

時計を見ると正午を少し過ぎたところ。所要時間も含めて非常にちょうどいい時間の使い方ですね。散歩がてら遠まわりをして帰宅することにしました。

 

僕の家は吉祥寺と三鷹、それぞれの駅のちょうど中間あたりにあるんですが、散歩コースとしては断然三鷹側のほうが好きですね。人通りも少ないし、素敵な見た目の建物も多いです。

道中のあじさいをじっくり見るなどしつつ、一時間ほどかけて帰宅。それなりに歩いたので、昼寝にちょうど良さそうな心地よい疲れもゲット。手洗いうがいをして着替えると、のろのろと布団に入ります。

こういう過ごし方をしたのは久々だったんですが、とても良いですね。やはり早起きすると一日の充実度が段違いです。こういうささやかでも穏やかで充実した生活こそ贅沢だなと強く思いました。明日(日付的には今日ですが)のライブも頑張れそうです。終わり

 

 

 

 

夕方に起きて焼肉食べたらクソ美味くて最高でした。

焼肉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>読書・散歩・野球観戦その他

 

 

だいたいこんな感じでーす。