ならそれでいいです

そろそろ優勝したい

ハレだのケだのとうるさいよ

 「俺に初めて彼女が出来たのは十六の時で、名前はユキっつったんだが。おいおいなんだその顔は。俺にも彼女ぐらいいたよそりゃ。全く失礼な奴だな。まあいいや。そんでまあ田舎のガキだったからよ、とにかくどう接したらいいのかわかんなくてさ。彼女が出来た、なんつったら周りの馬鹿どもになんて囃し立てられるかも分かんねえから、相談も出来ねえし。

  だから手も繋げねえまま半年ぐらい経っちまってさ。あるとき急に言われるわけよ。私、情けなくてやってらんない。別れましょ。ってさ。で、まあ言われた俺はボーゼンって感じなんだけどよ、ボーゼンとしながら気が付いたら向こうの顔を殴ってたんだよね。そしたら今度は向こうがボーゼンとして、そのまま逃げるように去ってくわけ。

  まあそりゃそうなんだけど、残された俺はなんとまあ勃起してんのよ。おっ立っちまって静まんねえの。兎にも角にも初めてがそんな感じだからさ、それからも万事そんな調子なんだよな。いや、もちろん年を重ねるごとにさあ。あ、俺今いくつに見える?三十ぐらい?へっへっ、四十一だよ馬鹿たれ。あー……なんの話だっけ?ああ、そうだそうだ。

  こう年食ってくとよお、俺みたいなやつにも段々女との接し方が分かってくるんだわ。まあ要はやることやってたってだけの話なんだけどさ。ししし。でも最後は全員ぶん殴っちまう。ユキのときと同じようにな。女の方の反応はまあいろいろだったね。ユキみたいに逃げるやつもいりゃ、めちゃくちゃに泣きわめくやつも、殴り返してくる奴もいたね。まあそんなやつらももう一発殴れば黙って去ってくんだけどさ」

 

 そんなことを一気に捲し立てて、ジュンちゃんはグビグビ喉を鳴らしながら缶コーヒーを飲んだ。飲み終わっても何も言わないところをみるともう話は終わりのようだった。一体何を伝えたかったのだろう。

 昼下がりの井の頭公園には親子連れと老人ばかりで、なんとなく僕は居心地が悪かった。こうしてベンチに並んでいるとジュンちゃんと親子に見えたりしないかな、と一瞬考えたけど自分が今年二十五歳になるという事実が急に顕在化して、自分の思い付きを打ち消しつつ気分を重くさせた。

 

 僕が探偵事務所兼焼肉屋兼ライブハウス「オデッセイ・オデッセイ」を退職して、そろそろ一か月が経とうとしていた。「オデッセイ・オデッセイ」での探偵兼肉の仕入れ担当兼ブッカーの仕事を離れた僕がまず最初にやったのは、貯金を使い潰しつつ外出もせず本を読み続けることだった。でもそれにも二週間ほどで飽きたので、近所を散歩するようになった。そこで出会ったのがジュンちゃんというわけだ。

 ジュンちゃんは僕と同様に曜日を問わず、昼過ぎから夕方まで近辺をフラフラしているようだった。僕が散歩を始めてからの五日間、毎日どこかしらですれ違うということが続いて、とうとう五日目に向こうから声をかけてきた。曰く「目が死んでるから仲良くなれそうだと思った」とのこと。余計なお世話だ、と思う。

 ジュンちゃんはとても気さくで、人懐っこいところがあった。一回り以上歳の離れた僕と、友達のように接してくれる。僕と同じく仕事はしていないようだったけど、身なりは綺麗で着ている服も上等そうに見えた。人たらしの臭いを感じたからヒモの類なのかな、とも思ったけど何も訊かなかった。向こうもそうしなかったし、なんとなくそれがルールのように思えたからだ。特に約束もせず各々がフラフラしている途中で会ったら話す。会わなかったら話さない。そういう関係性が続いていた。

 

 だから、今日ジュンちゃんが(まとまりがないとは言え)身の上話のようなものをし始めて、僕は内心驚いていた。いつもは本当にどうでもいいような世間話をして、しばらく無言でボーッと過ごして、適当なタイミングで解散するのがお決まりのパターンだった。そのルーチンを壊したことに、何か意図はあるのだろうか。

 僕は少し遠くの親子連れたちから、左隣のジュンちゃんに視線を移した。ジュンちゃんは視線を下げて、手元の缶を見つめている。恐らく中身はもう入っていないだろう。明らかにいつもと様子が違っていた。

 

 「昨日、母親の見舞いに行ってきたんだよ」突然、ジュンちゃんは絞り出すようにそう言った。そういえば、たしかに昨日は何日かぶりに会わなかった。

 「もう長くはないんだとさ。まあ、歳だからしょうがいないっちゃあそうなんだけどよ、やっぱ弱ってくとこ見るのは辛えよな」

 言い終えるころには、視線だけではなく頭全体が下を向いていって、表情もわからなくなってしまっていた。僕は何を言うべきか分からずに、ただじっと黙っていた。

 

 「で、兄貴が言うわけ。二人兄弟なんだけどさ。『お前みたいなちゃらんぽらん、母さんに心配かけるだけなんだから来るのは今回限りにしろ。入院費は全部俺が出すし、もしものことがあったら連絡する』って。まあたしかに立派に勤め人やってる兄貴と比べたら、俺なんか親不孝モンも良いとこだけどさあ。それにしたってあんまりだよなあ」

 ジュンちゃんはもうほとんど泣いているような声でそう言った。表情は見えないけど、本当に泣いているのかも知れなかった。

 「病院の中で喧嘩はマズイと思って昨日はそのまま帰ったんだけど、やっぱ悔しくてさあ。俺どうしたらいいのかなあ」

 

 僕はなるほどね、とだけ相槌を打って、それから何も言わなかった。ここまで込み入った個人の問題に僕の立場で言えることなど何もなかったし、ジュンちゃんもただ話したかっただけでアドバイスなど求めてはいないだろう。僕らはただの散歩仲間なのだから。

 ジュンちゃんは相変わらず俯いたまま、僕は適当に視線を右往左往させながら、僕らはしばらく黙っていた。気まずいような、気まずくないような、不思議な時間だった。

 そこに「帰るわよー」という声が聞こえたので、僕はその方向を向いた。三人の母親が三人の子供を連れて、六人の塊となって動き始めたところだった。

 いつの間にか、ジュンちゃんもその方向を見つめていた。上げた顔の目尻が少し濡れていたので、やはり泣いていたんだなと僕は思った。最初は見づらそうに細められていたジュンちゃんの眼は帰途につく親子連れを追いかけながら、どんどんどんどん開いていった。そして、もう限界だろうというところまで開かれた瞬間、ジュンちゃんは立ち上がった。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 とんでもない音量で叫びながら、ジュンちゃんは走った。

 あまりの大きさだったので二百メートルほど先にいる六人にも聞こえたのか、それぞれの母親は我が子を抱きかかえて走り始めたようだった。

 僕はというとその場で何かの発作かと疑われそうなぐらい笑い転げていた。「意味が分からないことが起こるとめちゃくちゃに笑ってしまう」という悪癖が出てしまったのだ。走り出した瞬間のジュンちゃんが勃起していたことが、それに拍車をかけた。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 母親たちも懸命に走っていたが、男性のジュンちゃんと女性、それも我が子を抱えている彼女らではどちらが早いかなど明らかだ。ジュンちゃんはあっという間に一組の母子に追いついた。

 追いついて、そして追い越した。まるでそんなもの存在していないかのように、ジュンちゃんは母子の脇をスピードも落とさず走り抜けた。当然ながら僕とジュンちゃんと六人の母子以外にも公園に人はいたけど、みんなジュンちゃんから逃げるように道を開けていた。

 僕は相変わらず笑いが止まらなかった。きっとまだ勃起しているんだろうなと思うと、涙と鼻水が出てきた。

 

 

 「ウワアァァァァーーーーーーーッッッッッ!!!!!!!!!!」

 

 

 ジュンちゃんはグングン遠ざかっていって、もうほとんど見えなくなった。そのまま公園を抜けださんばかりの勢いだった。当然声も聞こえなくなったけど、かろうじて見える周囲の反応から察するとまだ叫び続けているようだった。

 六人の母子もいつの間にかいなくなっていた。もしかするとすぐ近くの交番に駆け込んで、警察に事情を説明しているかもしれない。面倒なことに巻き込まれたら敵わないから、僕もここを離れることにした。

 公園を出ていくころになると、ようやく笑いの波は収まっていた。ジュンちゃんがいつまで勃起していたのかを考えるとまた波が起こりそうだったので、そこに思いを馳せないよう気をつけた。

 

 真っすぐ家には帰らず、少し遠まわりをしてスーパーに寄った。今日はカレーにしよう。それも少しだけ手の込んだやつを。

 買い物を済ませて家に帰ると抱えた食材を冷蔵庫には入れず、そのまま調理を始めた。外で食べるカレーも好きだけど、家で作って食べるカレーはまた別物として好きだ。市販のカレールーでもホールトマトを使うとグッと美味しくなる気がする。三時間ほどかかって満足のいく味に仕上がった。

 出来上がったカレーを皿に盛りながら、僕は少しジュンちゃんのことを考えていた。きっと、もう会うことはないだろう。根拠はないけどそう確信している。そしてそれは少し寂しくも感じる。

 

 そんな感傷とは別に、やっぱりカレーの具はゴロゴロと大きい方が良いなと思った。

 

 

だいたいこんな感じでーす。