ならそれでいいです

そろそろ優勝したい

望む姿で生きたいだけなのに

 夏休みが始まって一週間が経った日の昼下がり。友人の畑野の家を訪れた俺を出迎えたのは、銀色の球体だった。

 それは完璧な球状で、そして少しだけ浮遊していた。直径はだいたい一メートルほどだろうか。色は確かに銀色なのだがまぶしく光っているわけではなく、逆に周囲の光を吸い込んで重たい重たい輝きを形成していた。

 最初は部屋を間違ったのかと思ったが、家具や適当に読み捨てられた本などのこの球体を除いた部屋の全体が、何度も訪れている畑野の家であることを物語っている。そして、この部屋に人間は俺一人しかいなかった。俺はもう一度球体を見た。

 

「おう、来たか。麦茶飲むか?まあ俺注げないんだけどさ」

 球体から聞こえた声は楽し気だった。少し胴鳴りのようなものが含まれてはいるが、間違いなく聞き覚えのある畑野の声だった。なんとなくそんな予感はしていたが、この球体は畑野なのだ。

「畑野、お前どうしたんだこれ」

 俺は雑にスニーカーを脱ぎ捨てると、冷蔵庫から麦茶の入ったボトル取り出し、百均のものと思われるマグカップに注いで一気に飲み干した。美味い。やっぱり夏は麦茶に限るな、などとひとりごちながら二杯目を注ぐ。

 

「いやあ、なんて説明したもんかな。ほら、今年の夏って、めちゃくちゃに暑かっただろ」

 確かに、ここ数日は猛暑日が続いている。俺の家から畑野の家までは自転車で十分もかからないというのに、その移動だけで俺の額や首筋にはかなりの量の汗が浮かんでいた。

 

「だから哺乳類でいるのがめんどくさくなっちゃってさあ。金属はいいよ、楽で」 

 なるほど、確かに畑野の説明は筋が通っているように見えた。俺だってこの暑さには正直うんざりしているし、出来ることなら球体になってしまいたい。球体は暑さにも寒さに強い。

 だが、恐らく畑野は嘘を言っている。畑野が大学を出たあとの進路に悩んでいることや、両親と上手くいっていないこと、バイト先で人間関係のトラブルに巻き込まれていることなどを、俺は畑野の恋人の百合ちゃんから聞き及んでいる。今回の変身は、そのあたりに思い悩んでのことなのかもしれない。球体というのは煩わしさとは無縁の、非常に楽なものだから。

 

「話は分かったけど、これからどうすんだ?大学とか、生活とか」

 俺は畑野の言葉を信じたフリをして会話を続けることにした。俺が畑野の苦悩を知っているということを本人に伝えるのは野暮だと思ったからだ。実際のところがどうであれ、本人が暑さのせいと言うのなら、暑さのせいなのだ。

「学校は退学する。部屋も引き払って、山の中にでも籠って暮らすよ。球体なら食事も睡眠もいらないしな」

 畑野は本当にそう考えているのだろうか?少なくとも、声音は真剣そのものだ。

 

「家族はどうするんだ?」

「俺がいなくなっても何も思わないような連中さ」

 どうやら畑野と家族の仲は、百合ちゃんから聞いていた以上に悪いようだ。吐き捨てるような物言いと、発言と同時に重さを増す畑野球体の輝きを見ると、そう思わずにはいられない。

 

「じゃあ、百合ちゃんはどうする」

 俺がそう口にした瞬間、球体の雰囲気が変わったのが分かった。真剣さはそのままに、だけど少し寂しそうな声音で、畑野は言った。

「お前に任せる。百合は、お前が好きなんだよ」

 

 しばらく俺も畑野も黙ったままだった。俺は何を言えば良いのか分からず、ただじっと畑野の言葉を待った。畑野が何を考えてるのか、表情がないので全く読み取れない。球体というのは本当に楽なのだ。無限に思える時間の後、ようやく畑野が話し始めた。

「最近の百合がお前を見てるときの顔、俺が百合を見てるときの顔と全く同じなんだ。あの、優しい熱が頬と目の間に溜まっていくような顔。あんなの見せられたらさすがに感づくさ。一応、これでも二年以上あいつと一緒にいるんだから」

 俺は、まだ黙ったままだった。言うべきことと、言ってはいけないことが頭の中をグルグルと回って、一体どれを掴みとって畑野に伝えるべきかちっとも分からなかった。

 

「なあ、お前になら百合を任せられる。別に恨んでなんかいないさ。球体なんだしな」

「畑野、違うんだ。俺……」

「こんなことお願いして悪いと思ってる。けどお前にしか頼めないことなんだ。百合も最初は驚くと思うけど、きっと納得してくれるさ」

「畑野。俺、知ってたんだよ。お前に言われなくても、百合ちゃんの気持ち」

 

 最初は本当にただの相談だった。畑野くんが悩んでいるみたいなのに力になれない。彼女なのに情けない。呼び出された安居酒屋のカウンターでそう言って落ち込む百合ちゃんを、俺は色々な言葉で慰め、励ました。

 何度かそういった機会があったのだけど、たしかそれは五回目のときに起こったのだと思う。その晩、畑野と大きな喧嘩をしたのだと言っていた百合ちゃんは、店を出るやいなや俺の身体に寄りかかり、「私、疲れちゃいました。少し休んでいきませんか?」と甘えたような声で囁いた。俺の理性は少し震えたが、なんとか押しとどまって彼女一人をタクシーに乗せて帰らせた。

 それが一週間ほど前のことで、その日を境に百合ちゃんは俺への好意を隠さなくなった。毎日俺に会いたがったし、「畑野くんと別れたら付き合ってくれますか?」などと直接的な物言いもするようになった。俺はそれらへの返答をはぐらかし続けた。そして今日、畑野は球体になった。

 

 結局、俺は畑野に全てを打ち明けることになってしまった。他にどうしようもないように思えた。球体は相変わらず重たく輝くだけだった。

「そうか、そうだったんだな……」俺の言葉を噛みしめるようにして、畑野はそう呟いた。

「すまん、畑野。なかなか言い出せなくて」

 

「いいんだよ。気にするな。というか好都合じゃないか。俺のことなんか気にせず、百合の気持ちに応えてやってくれよ」

「畑野……」俺は心底気まずそうな、申し訳なさそうな声を作った。「俺、四角形の女の子はちょっと……」

 百合ちゃんが四角形になったのは、去年の秋のことだ。四角形とは言っても畑野の球体ほど完全なものではなく、立方体に手足が生えているような姿ではあるが。ストレスのせいだと本人は言っていた。

 

「そうなのか……」

「すまん……」

「いや、お前が謝ることじゃないさ。けど、どうしたもんかなあ」

「それなんだけど」仕切り直すように、俺は大げさな咳払いをした。

 

「まず、お前は百合ちゃんと話し合うべきだと思う。元々俺に気持ちが向いてたのだって、お前との喧嘩でヤケになったからみたいなところもあるだろうし。その辺りを確認しないで関係を終わらせるのは、百合ちゃんにも失礼だよ」

 実際、俺と百合ちゃんが二人で会っていたのは本来畑野のためだったのだ。畑野の役に立ちたいと言っていた彼女の気持ちを俺だって信じたい。

 

「俺たち、まだやり直せるのかなあ」畑野の声は、泣いているようにも聞こえた。

「それも含めて、確かめないのはただの逃げだと思うぜ。いいじゃないか、仮に振られても、球体なら平気だろ」俺は半ば無理矢理に笑顔を作ってそう言った。

「それで、球体のまま山に籠るか、人間に戻るか、それとも百合ちゃんとおそろいの四角形になるかを決めればいいさ」今度はようやく自然な笑顔で言って、球体になってから初めて畑野の身体をさするようにして触った。球体は金属特有の鈍い冷気を帯びていた。

 

「いや、それなんだが……」畑野は少し困ったような声を出した。「球体になってから、変身の仕方が分からなくなってしまったんだよな」

 ということは、元に戻る方法も分からないということか。何か手立てはないものだろうか。俺は少し考え、そして一つの思い付きと共に大げさに手を打った。

「そうだ、球体病院で検査を受けよう。何か薬もあるかもしれん」

「そうか……そうだな。そうしよう」俺の提案に畑野が乗った。確かここから歩いて行ける範囲に、そこそこ大きな球体病院があったはずだ。

 

 病院までの移動は、球体が往来を行くのはいたずらに注目を集めるという畑野の意見を聞き入れ、借りてきたリヤカーに畑野を載せて運ぶフリをすることにした。畑野は浮遊しているため重さは感じないのだが、それがなんだか逆に悲しかった。

 球体病院で事情を説明すると、畑野は検査入院をすることになった。変身によって生じる身体の変化には個人差があるため、数日間かけて慎重に検査をする必要があるらしい。「百合には検査が終わってから話すよ」そう言って、畑野は奥の病室に入っていった。

 

 それから数日後、畑野から一通の手紙が届いた。宛名は俺と百合ちゃんの連名だった。

 看護師に口述筆記で書いてもらったというその手紙には、「検査の結果、自分の身体は銀ではなく『土産物屋に売っている竜が剣に絡みついているキーホルダーの素』で出来ていることが分かり、『土産物屋に売っている竜が剣に絡みついているキーホルダーの素』から人間や他の図形に変身することは非常に難しいことも判明した。それを受け入れ、今後は『土産物屋に売っている竜が剣に絡みついているキーホルダーの素』としての人生を送ろうと思う。手始めに全国の土産物屋を巡るので、しばらく会えそうにないが心配しないでくれ」と書かれていた。

「返事なんか書かなくて良いんじゃない?」と、隣で一緒に読んでいた百合ちゃんが笑った。

 

 

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だいたいこんな感じでーす。